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「仲嵩さんは軍に銃殺された…」。台湾人船主による文書。沖縄県与那国島出身の仲嵩実が1947年の台湾「2・28事件」で殺害されたことがはっきりと記録されていた。文書は残された家族を案じて、仲嵩を船長として雇っていた台湾人船主が漁船の譲渡を約束した証文だった。台湾での2度の被害申請が却下された後に見つかった文書。仲嵩の孫、當間ちえみさんら遺族は、2023年8月、3度目の被害申請を申し立てた。
台湾「2・28事件」は、大陸から来た国民党軍の独裁に抵抗した台湾の人々が、1947年に弾圧された「白色テロ」だ。台湾政府は犠牲者を1万8千~2万8千人とし、真相究明と被害者救済のため95年に「台湾二・二八事件祈念基金会」を創立。2016年には、奄美出身の父を亡くした沖縄在住の青山惠昭さんが、外国人初の認定を裁判で勝ち取った。青山さんの呼び掛けに応じた仲嵩の娘徳田ハツ子さん・當間ちえみさん親子、父石底加禰を亡くした具志堅美智恵さんが申請した。だが、16年と18年と却下。「証文」を新たな証拠としたが、今年4月に却下された。 「何をもっていっても駄目だった」。當間さんらは10年に及んだ訴えに区切りをつけた。
台湾の激動の歴史は知っていた。だが祖父の死が「2・28事件」のためとは思いもよらなかった。母親は「生きている間に解決して、ぐそー(あの世)に行ったら、うらみを晴らしてきたからねと話ができるね」と期待してきた。だが願いはかなわなかった。
米軍占領初期。沖縄最西端の与那国島では台湾との戦前からの交易が「密貿易」として継続した。仲嵩は当時29歳。与那国島で料亭を経営し、「密貿易」船の船長として雇われて台湾を行き来。与那国島には、大量の物資と現金が流れこんだ。
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