WOMEN'S DEMOCRATIC JOURNAL femin

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インタビュー

遺されたものを語り継ぐ

亀岡敦子さん

  • 2024.6.15
  • 聞き手…室田元美
  • 撮影…落合由利子

>竹内佐千子さん

(c)落合由利子

感性だけでなく知識が必要です。

戦後79年。戦争の時代を生きた人たちが少なくなった。  「これからは、『もの』に語ってもらうことになります。戦争の何をどう伝えればいいのか、ますます難しくなりますね」  と話すのは、30年にわたって戦争の実相に迫ろうと調査・研究を続ける亀岡敦子さんだ。

 

  徳島県に生まれ、3人の子どもたちを育て、夫の仕事で神奈川県横浜市に転居。近くにあった慶應義塾大学日吉キャンパスが戦時中、海軍に接収され、連合艦隊司令部が地下壕から戦争を指揮していたことを知った。  「善なる学びの場である大学に戦争が来るとは、何事か」   放置されていた貴重な戦跡を、せめて次世代に残さねば。地域住民として「日吉台地下壕保存の会」発足(1989年)後、会の運営に力を入れてきた。現在も日吉台地下壕は月2回の定例見学会で一般開放されている。

 「私にとっても戦争は身近でした。戦後すぐに生まれ、引き揚げてきた親戚がわが家に一時逗留していたり、傷痍軍人を大勢見かけたりしました」  日吉台地下壕での活動をきっかけに、慶應義塾大学文学部の通信教育課程に入学。「女性と戦争」をテーマに、羽仁もと子、市川房枝等を研究した。  「子どものPTAでせっせと活動していた自分は、あの時代にいたら国防婦人会で張り切っていたはず。私自身の戦争でもあったんです」

1994年夏。白井厚教授が開催した「特攻50周年展示会」で、同大学から学徒出陣した特攻隊員、上原良司さんの遺書や写真と対面し、強く惹かれたのを機に、研究者とともに長野県・安曇野にある上原家を訪れるようになった。「明日は自由主義者が一人この世から去って行きます」という「所感」の一文で知られる良司さん。3通の「遺書」と「所感」を遺し、45年5月11日、沖縄の海で戦死した。

        続きは本紙で...


かめおか あつこ

1946年徳島県生まれ。神奈川県日吉への転居を機に戦争について学び、慶應義塾大学日吉キャンパスに現存する日吉台地下壕の活動や同校で学んでいた特攻隊員・上原良司の研究を始める。現在「日吉台地下壕保存の会」副会長、「戦争遺跡保存ネットワーク」運営委員。

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