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今から79年前の1945年3月23日、沖縄県の慶良間諸島は、米軍艦載機の空襲で炎に包まれた。渡嘉敷島は全島が山火事となり、27日に米軍が上陸。翌28日、日本軍は渡嘉敷島民の3分の1にあたる329人を「集団自決」に追い込んだ。
源啓美さんは、生まれ育った渡嘉敷島の平和学習ガイドを30年近く引き受けている。「住民が捕虜になり、米軍艦艇を特攻攻撃する軍事機密が漏れることを恐れた日本軍によって、集団自決に導かれた。そこには、島民の命なんてどうでもいいという沖縄人に対する差別が根底にあった。その構図は今も変わらず、南西諸島の軍事要塞化につながっている」と指摘する。
ガイドは痛みを伴う。島に設置された慰安所で一晩に20人以上も相手をさせられた女性。愛する家族を手にかけた少年…。「集団自決は、一人の中にも被害と加害が混在している場合がある。加害の痛みは戦後引き裂かれ続け、時間が経過するほどつらい。戦争の体験談を説明すると、自分が追体験するようで体が痛くなる。ガイドを断りたい気持ちもあるが、伝える人がいないとね」
戦争に向き合うきっかけは、復帰前の67年に入社したラジオ沖縄で、20代の頃に制作したシリーズ「母の語る戦争体験」だった。女性たちを訪ねる中で、戦争体験が特別な人の特別なものではないことに気づく。周囲の大人たちが戦争の話をしていたことを思い出し、改めて母にも戦争体験を聞かせてもらった。昔、聞いたはずだが記憶になかった。「こちらの側に戦争の話を聞こうという意志がないと、自分のものにならないと改めて感じた。初めて戦争に向き合う気持ちになったとき、母の話が入ってきた」
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