(c)落合由利子
「何をしたらガザのこの状況を止められるのか。とにかくできることを探しています、私も」 パレスチナと個人的な縁も深い、日本国際ボランティアセンター(JVC)広報の並木麻衣さんが、中東に関心を向けたのは「9・11」からという。復讐の戦争が叫ばれ、世界の報道はアフガニスタンやイラクでの死者のカウント一色になった。 「それでも私たちは変わらぬ日常を過ごせてしまう。そこに生きる人々の顔が見えないから失われたものの重さも実感できないのだと思いました。当時は高校の新聞部。もし自分で取材に行くなら言語を学ばなければと東京外国語大学へ」
アラビア語や地域研究をする中で、パレスチナ問題を外して中東は語れないとわかり、ヨルダン川西岸のビルゼイト大学に留学。現地で見聞きし肌で触れた現実は、日本で考えていたこととずいぶん違っていた。 「大学では、パレスチナ人の視点からパレスチナ問題を学びました。平和への希望と捉えていたオスロ合意は、当時でも誰もが否定的になっていた」
帰還権など重要課題は先延ばしのままイスラエル人入植地が増え、イスラエル人専用道路が縫う。パレスチナ人の村は分断され、学校や自分の畑に行くことさえままならない。それがオスロ合意の現実だった。
一時はジャーナリストを志望したが、現地特派員と出会う中で選択肢から消えた。 「一生懸命取材しても、日本では関心がないと言われて記事にならない。それでも安定した大手メディアで働くか、古居みずえさんや土井敏邦さんのように自腹で追い続けるか。ジャーナリストも二者択一しかないのかと思い」、別の道へ。手弁当でスーダンの障がい者支援団体を手伝ったり、いつも出会いに導かれて仕事をしてきた。
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