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インタビュー

「えんぱわめんと堺」代表理事

北野真由美さん

  • 2022.9.5
  • 聞き手…大森順子
  • 撮影…谷口紀子

 北野真由美さん

(c)谷口紀子

子どもたちの育ちに伴走する

 

 「さめちゃん、さめちゃん!」北野真由美さんは、子どもたちからそう呼ばれている。  「サメは、じっとしてたら死んでしまう。動き続けないとアカンのや」。それがニックネームの由来だ。その名の通りいつも活動的に動き回っていて、なかなか捕まらない。子どもの権利や女性のエンパワメントをテーマに、ファシリテーターとして全国各地を飛び回っている。

 

 人生には、何度かの転機が訪れる。北野真由美さんにとって、最初の転機は30歳前後にやってきた。  24歳で結婚し、25歳で長女を出産。サラリーマンの夫とは程よい距離で、専業主婦として申し分のない毎日。さぁ次は男の子ね、という周りの声に多少疑問は感じながらも、第2子の妊娠。しかしなぜか次の妊娠はうまくいかずに死産流産を繰り返す。失意のどん底で、病室でめそめそと泣いてばかりいた時、同室の女性の一言が胸に突き刺さる。「あなたには1人いるじゃないの! 子どもに泣いた顔ばかり見せてどうするの!」  「頭をガーンと殴られたような気がした。自分は上の子のこと、ちっとも見ていなかった。いったい私は、何をしてるんや、と思ったんよ」

 

もう、どうとでもなれ、と開き直ったら2人目が生まれた。出産の前日に自身の父親が倒れ、葬式にも出られなかったが、そのことをとやかく言う周囲に対して以前の自分ではない。  「それまでは、周りの声も気になっていたし、つねに清く正しく美しく、て感じで、自分をよく見せようとしてたと思う」

立ち止まってよく見てみたら、違った風景が見えてきた。たとえば、義母はバリバリのキャリアウーマン。義父は自分でお弁当を作るまめな人。自身の家庭では考えられない夫婦関係を見て、固かった頭がほぐれていくのを感じた。父親が亡くなったあと、母親の着る服がどんどんカラフルになっていったのも、考えを変えるきっかけになった。この社会で女性が自分らしく生きる意味、女性が自身をエンパワメントする力を知った。やりたいことは全部やりたい、と思うようになった。

        続きは本紙で...


きたの まゆみ

1957年生まれ。 特定非営利活動法人えんぱわめんと堺/ES代表理事。大阪多様性教育ネットワーク(ODEN)共同代表ファシリテーター。府立高等学校非常勤勤務ほか。人権研修ファシリテーターとしてワークショップを進めている。

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