(c)谷口紀子
京都府宇治市伊勢田町のウトロ地区は、戦争中に日本陸軍の京都飛行場建設のための朝鮮人労働者が集住し、敗戦後は行き場のなくなった朝鮮人も移り住んだ。在日の町と差別され、上下水道が未整備なうえに、土地も低くて雨が降ると何度も住宅が浸水した。1980年代半ばから行政へインフラ整備を要求するなど人間らしい生活の権利を求める運動の中心に、「ウトロを守る会」の代表でふぇみん会員の田川明子さんがいた。
次第に運動が実を結びインフラが整って老朽化した住宅も建て替えられ、2018年には念願の市営住宅が建った。2棟目の市営住宅を建設中の今年4月末、「ウトロ平和祈念館」が完成。初代館長に田川さんが就いたと聞き、祈念館を訪ねた。
駅を降りて狭い道を歩いていくと、ガラス張りの祈念館が現れる。道を隔てた向こう側は陸上自衛隊大久保駐屯地で、京都飛行場の跡地の一部だ。 祈念館は3階建て。1階はお茶を飲みながらおしゃべりできる交流スペース。壁には、ぜひ飾ってほしいと寄贈された在日女性たちの願いを描く絵が掛かる。メインの展示は2階へ。たくさんのパネルの他、ウトロの部屋の模型もあって、ちゃぶ台と缶ビールににんまりする。3階は特別展示室。そして前庭にはかつての飯場が移築・改装され、水道がなかった時代にみんなが押したポンプも置かれた。
田川さんは「〈中学生が理解できること〉がコンセプトです。初めて来てくれた人にもウトロに出合ってほしいので、侃々諤々議論して作りました。それが勉強になりました」と語る。 祈念館建設には、設計・デザイン・翻訳・イラストなど、たくさんのその道のプロも関わった。そして今、150人のボランティアが集まる。
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