(c)落合由利子
「英語ができれば、立派な国際人」。教育現場でもビジネスでもお題目のように語られる言説だが、そうだろうか。 今から40年前、英語教師だった北川郁子さんがエスペラントを学ぶようになったのも、そんな疑問からだった。 「学生時代に短期留学した米国バークレーでは、人種や国籍などにとらわれないリベラルな人々との交流を経験、日本で味わえなかった解放感や民主主義に浸り、満足していましたね」
だが英語教師として高校生を教えるなかで、生徒たちの対応が欧米人留学生に対する時とアジア人留学生に対する時とで、大きな違いがあることに気づく。朝鮮学校生に向けられるヘイトスピーチにも胸を痛めた。 「英語も大事ですが、英語一辺倒では偏った世界観を作ることになりはしないか、と思い始めました。世界の公用語と言われるけれど、イタリアやフランスを旅した時は通じないこともあった。また英語のネイティブスピーカーと議論になると、言い負かされたり、相手が正しいことになってしまったり。このコミュニケーションは対等なんだろうか、言葉による力関係も気になるようになりました」
他の言語を学ぼうとして、行き着いたのが、誰の母語でもないエスペラントだった。文法が規則的で、発音もローマ字読み。もともと1887年にポーランドのザメンホフ医師が、絶えることのない民族間の争いを話し合いで平和的に解決できないかと創案した言語だ。「希望する人」 を意味するエスペラントと名付けられた。エスペラントが目指す自由で平等、対等な世界は、日本でも大杉栄や宮沢賢治らによって理想とされた。1919年には日本エスペラント学会が創立。ベトナム戦争や学生運動の時にもブームがあった。
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