(c)山内若菜
2013年から私は福島の牧場に通い、描いてきた。動物はものじゃない、家族なんだという牧場主のさけび、馬の変死を見てきた。まるで牧場主になった気持ちで暗いモノクロームの世界をずっと描いてきた。
氷河期世代の女性である私を採用してくれたブラック企業の社員を、15年間しがみつくように働いてきた。が、福島原発事故後、殺処分される動物に自分の姿を重ね、絵を描かざるを得なかった。これは自分だ。派遣時代のハム工場では、冷凍庫でハムを転がしてしまって流血沙汰の怪我をしたが、まず上司の放った言葉は「ハムは大丈夫か!?」。ハム以下の扱いをされてきた社畜の自分と、殺処分の動物は、やはりイコールだった。 こんな世界いやだ。こんな世界変えたい。白い反吐を吐いて死んだ馬に、自分の思いを込め、空高く飛ばした。
「子どもを産むかもしれないのに、行くのはやめたほうがいい」。そう言う人もいた。産む性だから高線量地域に入ってはいけないのか。産まない性ならいいのか。突き動かされるように通い続け、福島でも発表した。もっとも小さい声を、声なき声を拾い集めたい
最近は自身が見たい明るさや色、生物多様性への思いもこめ、多様な色を使いはじめた。悲劇を真っ黒に描いてきた自分の眼鏡の曇りを取り去り、苦しみを忘れないようにという思いとともに、死を生に反転させたいと理想世界へ祈りを込めた。19年も、長期間飯舘村に滞在した。のどにがんができたり、異常な出産、子やぎの赤ちゃんの全死などを取材し、時にはイノシシを殺す手伝いもした。命ってなんだろう? すべてひっくるめて、ポジティブなファンタジーにというような、命は何度でもよみがえるんだ、という希望や理想をこめて描くようになった。 文・絵●山内若菜
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