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インタビュー

第五福竜丸を発信する

市田真理さん

  • 2022.2.25
  • 聞き手…室田元美
  • 撮影…落合由利子

市田真理さん

(c)落合由利子

当事者に代わって淡々と事実を

 

3月1日はビキニデー。東京・夢の島にある第五福竜丸展示館には、ゴミの埋立地から引き上げられた実物のマグロ漁船が展示されている。東京都が建設し、1976年に開館した。

 

「ヒロシマ、ナガサキの原爆に比べると、その9年後に第五福竜丸はじめ多くの船が核被害に遭ったビキニ事件は忘れられがちです。でも米国のマンハッタン計画による原爆は始まりにすぎず、そのあとの太平洋核実験まで続いていくんですよ」  と説明してくれたのが、学芸員の市田真理さんだ。54年3月1日、アメリカがマーシャル諸島のビキニ環礁で行った水爆実験により、第五福竜丸では23人が被ばく。無線長の久保山愛吉さんが半年後に亡くなった。

 

 市民の保存運動で残された第五福竜丸の船体、ビキニ事件の写真や資料、あの日降り注いだ「死の灰」、世界の核実験でさまざまな国の人々が受けた被害など、知らないことも多い。見学の小学生にもわかりやすく、市田さんは話してくれる。

 

かつて展示館には、ビキニ事件の証言をする大石又七さん(2021年3月逝去)の姿があった。  「大石さんが長い沈黙を破って語り始めたのは1983年からです。ビキニ事件の後、『金をもらった』『放射能がうつる』などと言われて故郷にいられなくなり、東京でクリーニング店を開きました。もう嫌な目に遭いたくない、忘れたい。それなのに第五福竜丸が引き上げられ、展示館ができた。心中は複雑だったでしょう。『船を残さないでほしい』とも。語り始めたのは、中学生たちから依頼を受けたのがきっかけでした」

14歳で漁師になり、20歳で被ばくに苦しんだ自身の話を、子どもたちには伝えたいと思ったのだろうか。大石さんも50歳になる頃で、自分たちにできることは?と尋ねる子どもたちに、「ものごとを正面からでなく、後ろからも真上からも見て、自分の考えをちゃんと作れるようになってほしい」と答えて、期待もしていたと言う。

        続きは本紙で...


いちだ まり

1967年、北海道生まれ。2001年から都立「第五福竜丸展示館」で資料整理などを始める。13年同館の学芸員となり、大学でも教鞭を執る。著書に『ポケットのなかの平和―わたしの語りつぎ部宣言』(平和文化)ほか『第五福竜丸は航海中』の編集や、共著も多数。

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