(c)落合由利子
戦後77年を迎え、戦場、戦争の体験を持つ人びとから直接証言を聞くことが叶わなくなった昨今。どのように史実を伝えていけばいいのだろうか。 一つの試みとして、日中戦争を歌で伝えている合唱団がある。 組曲「紫金草物語」「再生の大地」の作詞を手掛け、「紫金草合唱団」「再生の大地合唱団」の演奏活動にも取り組んできた大門高子さんに話を聞いた。
「私は1945年7月生まれ。生まれてすぐ空襲に遭い、『記憶にない戦争体験』が原点です。覚えていなくても、反戦平和はいつも心にありましたね」 作詞のほか、多くの著作でも知られる大門さんは、大学時代は植物学を専攻。花が好きで、当時盛んになり始めた学生運動よりは植物採集に夢中になり、ワンダーフォーゲルの活動でいつも山に登っている自然派の学生だった。
卒業後、小学校の教師になってからは、子どもたちと劇やミュージカルづくりを楽しんだ。その植物好き、創作好きが、やがて日中戦争の歴史の扉を開くことになった。 教師時代、東京での通勤時に、電車の窓から線路脇に咲く紫色の花を目にする。「なんの花だろう」「どうしてここに?」。あるとき同僚の教師が新聞記事を見せてくれた。南京で従軍していた元兵士、山口誠太郎さんが南京郊外の紫金山麓から反戦と平和を願って日本に持ち帰った花だと知る。正式名はオオアラセイトウ。諸葛菜、花ダイコンとも言う。この花から南京大虐殺を歌った組曲、「紫金草物語」が生まれた。
次作の「再生の大地」は、中国の撫順戦犯管理所に収監された元兵士たちが、大陸で殺りくや蛮行を重ねたにも関わらず中国人の職員から人間らしい扱いを受け、「鬼から人間へ」生き直す様子を組曲にまとめている。歌に登場する「赦しの朝顔」は、元兵士らが罪を許されて帰国する際に「武器より花を」と朝顔の種を手渡されたことに由来する。
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