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インタビュー

自らと向き合いながら人権問題に取り組む

加藤めぐみさん

  • 2021.12.5
  • 聞き手…社納葉子
  • 撮影…江里口暁子

加藤めぐみさん

(c)江里口暁子

大人には過ちを伝える責任がある

 

ここ数年、「人権」への攻撃が巧妙かつ激しさを増しているように思えてならない。なぜこうも「人権」を共有できないのか。大阪で人権問題に長く取り組んできた加藤めぐみさんに話を聞いた。  現在、大阪のハンセン病回復者支援センターでハンセン病回復者や家族の相談を受けている。彼女に「差別を見過ごしてはいけない」と最初に教えたのは5歳違いの姉だった。

 

 強烈な記憶がある。高校生だったある日、祖母と母、姉とめぐみさんの4人でおしゃべりを楽しんでいた時、祖母の口から被差別部落に対する差別発言が飛び出した。即座に姉が激しく祖母を怒った。一緒にいた母は「年寄りの言うことやから」ととりなしたが、姉は許さなかった。「母親と姉を見ていて、お姉ちゃんが正しいと思った」  姉がなぜ差別に敏感になったのかはわからない。しかし刺激を受けためぐみさんは小学校教員を志し、大阪市の同和教育推進校を希望して京都から大阪市西成区へと移り住んだ。

 

一方で人を傷つけた経験も。相手は他でもない姉だった。めぐみさんより一足先に教員を目指して大学に進んだが、2年生の時に大きなてんかん発作を起こしたのをきっかけに、たびたび発作に見舞われるようになった。ある時、口げんかの最中に、めぐみさんが「また頭がおかしくなったら困るもんね」と捨て台詞を吐いた。顔色を変え、猛烈な怒りを表した姉に「この時はすぐ言ってはいけないことを言ってしまったことがわかった。『ごめん!』と真剣に謝りました」と話す。「差別はいけない、許さない」と思っていても、とっさに出てしまうことがある。その時にどんな態度を示せるか。過ちから何を学ぶか。「過ちを繰り返さないためにはロールモデルや教育が必要」。めぐみさんのロールモデルが姉であり、小学校教員を目指したのもまさに「教育」の必要性を強く感じていたからだった。

        続きは本紙で...


かとう めぐみ

1954年京都府生まれ。78年、大阪市立小学校教員に。妊娠中発症した膠原病のため、8年で退職。西成障害者会館で施設や精神科病院から地域への移行支援の取り組みを経て、現在は大阪府済生会ハンセン病回復者支援センターのコーディネーター。

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