(c)江里口暁子
在日コリアンが多く住む大阪市生野区。韓国料理や韓流ショップを目当てに集まる人々でにぎわうコリアタウンを少し外れたところに「まちの拠り所 Yosuga」はある。運営する足立須香さんの名前と「縁(よすが)」をかけて名付けられた。地域の人々の出会いの場であり、居場所だ。須香さんは大阪市立小学校で教員として働き、今は地域で子どもたちを見守る。
生野区に隣接する東成区で生まれ育った。両親はともに地元出身。身近にはいつも在日コリアンの人々がいたが、「壁」も感じていた。 「大人たちは仲良くしてたけど、日本人だけになると『あっちの人』という言葉が出る。『私たちとは違う』という意識を感じたし、子どもだった自分も刷り込まれていたと思います」。日本人も在日コリアンも生活が安定すると区外へ出て行く人が多い。須香さん家族も京都に移り住んだ時期がある。愛着を感じながら、地元はどこか「誇れないふるさと」だった。
教員は安定した職業として選んだ。最初に赴任した小学校は大阪市内の被差別部落を含んだ地域にある「同和教育推進校」だった。同和対策事業特別措置法(1969年)のもと、厳しい環境に置かれた子どもに徹底的に関わり、誇りをもって生きるための教育に取り組んでいた。マイノリティーが多く住む地域には、不安定な就労や低学歴など社会の矛盾が集中し、弱い立場に置かれた人を直撃する。差別が組み込まれた社会を変えるには多くの人と連帯する〝運動〟が不可欠なことを知った。
「障害のある子どもが『健常』の子どもたちと同じ教室で学ぶ原学級保障をはじめ、今、最先端と言われる教育が30年前の大阪ではすでに取り組まれていました」 教室で子どもたちと向き合うなかで、かつて同じ地域に住み、同じ学校に通っていた在日コリアンの人々の姿が浮かんだ。壁があったのではない。日本人である自分たちが壁をつくっていたのだ。
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