WOMEN'S DEMOCRATIC JOURNAL femin

  • HOME
  • >
  • インタビュー

インタビュー

朝鮮学校の歩みを記録する

金淑子さん

  • 2021.9.5
  • 聞き手…室田元美
  • 撮影…落合由利子

金淑子さん

(c)落合由利子

自分らしく生きられる「場」を

 

今春、一粒出版が発行した『私たちの東京朝鮮第三初級学校物語(新校舎建設編)』は、この学校を記録した3冊目の本だ。  朝鮮が日本の植民地支配から解放されて間もない1945年12月、東京・板橋の個人宅で産声を上げた学校(ハッキョ)。奪われた言葉や文化を取り戻すために、1世たちは何よりもまず子どもたちの学びの場を作った。その後のGHQと日本政府による朝鮮学校弾圧、今も続く無償化からの除外など排除の歴史。その中で手をつなぎ合って学校を守ってきた人々の物語である。  おもに3冊目の途中までを夫の金日宇さん、その後を金淑子さん、夫婦が地道に取り組んだ取材のあとが見て取れる。

 淑子さんは京都で生まれ、大家族の中で育った。在日1世の祖父をはじめ、カトリックの家系で反共、その中で父親だけが、学生時代に出合った〝民族主義〟に傾倒していった。  「父が子どもを朝鮮学校に進学させると言うと戦争でした」 小中学校は日本の公立学校で、ブラスバンド部に入って、クラス委員長。友人も多く楽しかった。  「心のどこかにしこりがありました。朝鮮人だと知られるのが怖い。緊張を強いられていたのでしょうね。チマチョゴリで歩いている子たちが解放されているように見えました」

 

   高校は京都朝鮮中高級学校へ。「映画『パッチギ!』みたいに荒れていた」が、安堵感を覚えた。朝鮮大学の寮生活では仲間との絆ができた。大学4年の春、韓国で軍事政権に学生たちが命がけで抵抗する「光州事件」が起きる。  「同じ大学生なのに私はここで何をしているんだろう。友人たちと夜更けまで話しました。それで思ったのは、彼らが人間として軍事政権と闘うなら、私は在日朝鮮人として差別と闘おうということでした」

 夏。修学旅行で初めて訪れた共和国。経済的に豊かではないが人々は温かく包んでくれた。  「自分のルーツがあって、受け入れてくれる人たちがいる。足場が固まりました」  80年が出発点だったと話す。

        続きは本紙で...


キム スッチャ

1958年京都市生まれ。高校、大学で朝鮮の民族教育を受ける。京都での教員生活ののち、朝鮮新報社で記者。2005年ソウルの大学院に留学。夫と立ち上げた「一粒出版」を続けながら、日本の大手テレビ局で朝鮮関連のニュース番組の翻訳チェックも行っている。

【 新聞代 】(送料込み)
 1カ月800円、3カ月2400円
 6カ月4800円、1年9600円
【 振込先 】
 郵便振替:00180-6-196455
 加入者名:婦人民主クラブ
このページのTOPへ