(c)落合由利子
最近、ある新聞の美術評で目にとまった小田原のどかさんという名前に、そういえば、と思い出したのは、数年前に書店でふと手に取った『彫刻の問題』という本のこと。小田原さんはこの本の共著者だった。モニュメントの男性中心主義や、町中に無造作に置かれる女性裸体像についてなど、興味深い内容に心が躍った。ぜひ話を聞きたいと、改めて思った。
小田原さんが育った仙台市は、彫刻のある街づくりを行っている。「毎年新しく、景観に沿った彫刻が置かれていきます。四季が移ろうケヤキ並木に彫刻がある。これが私の原風景です」。そして高校・大学と彫刻を学んだ。
彫刻教育を受けて気付いたのは、彫刻の理論や歴史が教えられず、手の技や技術が中心だということ。技術といっても、西洋人女性の裸体像を作らなくてはならないのはどうして? そして今も感じ続けている美術教育への疑問が広がっていく。
「女性の裸体像の制作は、それが西洋美術の伝統だという価値観からなのはわかりますが、なぜ今、日本で踏襲しなくてはならないのか」 調べていくと、美術教育の成り立ちには明治初期の近代化政策が関わっていた。「明治初期につくられた官製の工部美術学校では、欧米列強に並ぶ立派な建築物を建てる人材、それを飾る彫刻制作の人材が求められました。つまり当時は国家有用な人材育成としての美術・彫刻教育で、男性ばかり」の歴史が見える。
その後も彫刻界は、軍国主義と戦争、植民地支配を肯定し、武将や軍人をモデルとした数々の戦争彫刻をつくっていった。ところが戦後は一転して平和を謳う。「戦争中の体制協力への反省的視点がないことには耐えられない」と小田原さん。 「彫刻を学ぶことが、ある種の権力構造に無自覚に加担していることや、それを自覚しなくていいと教える美術教育をどうしたら変えることができるのか。それが私のモチベーションです」と言う。
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