(c)江里口暁子
私は妊娠して以来、「母である」という圧力から解放されたことはない。一方、「母でない」ことに苦しむ人たちもいる。 「母になりたい」という女性の思いはどこまでが「本人のもの」なのか。生殖補助医療の規制や理念などについて研究する小門穂さんに話を聞いた。
穂さんが現在の研究テーマに出会ったのは1999年。大学4回生の時に留学したフランスで、PACS法(市民連帯契約法)成立の報道に接する。性別に関わらず、同居するパートナーに配偶者に準じた待遇を認める法律だ。
関心をもって調べると、同性カップルにもPACS法は適用されるが、「生命倫理法」という法律によって、生殖医療は受けられないことを知る。異性愛者は生殖技術を使えても、同性愛者は使えない。「どういうことだろう」という疑問と同時に「生命倫理」という分野に強い関心をもち、大学院へ進学、研究生活に入った。
穂さん曰く、生命倫理とは「医療技術が発展するなか、できることは何でもやっていいのかを考える学問」とのこと。フランスでは政府が83年に国家倫理諮問委員会(CCNE)を設立、生命倫理に関するさまざまな議論や検討が行われてきた。当初は生殖医療に慎重な姿勢を見せていたフランス政府だが、90年代半ばには「社会的要請」に押されるように、さまざまな生殖医療が一定の条件をつけながらも認められるようになる。 たとえば生殖医療を受けられるのは、医学的に不妊と診断された男女のカップルなどに限定される。該当するカップルは費用の助成も受けられる。一方で同性カップルや独身者は受けられない。「産む体」をもつレズビアンカップルが生殖医療を使うことについては、度重なる議論を経ながら認める方向へと進んでいる。しかし産む女性の負担が大きい代理出産は禁止、という具合だ。
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