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インタビュー

「世田谷こども守る会」

瀬田美樹さん

  • 2020.3.15
  • 聞き手…室田元美
  • 撮影…落合由利子

 瀬田美樹さん

(c)落合由利子

主権者として食に向き合いたい

 

月に1回、東京・世田谷のコミュニティスペース「ふかさわの台所」で、小さな子どもと親に向けて「ミキズランチ」を開いている、瀬田美樹さん。去る1月のメニューは鶏ひき肉の白菜巻き、卵かけごはん、デザートはスペイン・バスク地方の黒いチーズケーキ。瀬田さんの料理は、珍しくて美味しくて、しかも安全な食材で作られていてファンが多い。

「食べることが好きなんです。授乳中のママも来るので野菜や肉の産地、無農薬など安全には気を配ります。子ども連れでレストランに入りづらい親にとっては、子育ての情報交換の場にもなっているみたい」  必ず話すのが食材のこと。「鶏肉もブラジル産だと安いけれど国産にしたよ」「きょうの野菜は長野の有機野菜でね」。食の安全を話す時、福島原発事故のことにも触れる。当時子どもで事故のことをよく知らない親もいるからだ。「私にとっても3・11は生き方を見直す転機になりました」と瀬田さんは言う。

 東京にも原発事故の数日後、飛散した放射性物質(プルーム)が降り注いだ。  「正しい情報もよくわからないし、不安だけれどだれも守ってくれない。子どもは4歳、11歳、13歳。家では産地を選べるけれど、小学校に通う長女の学校給食が心配でした」

 一人で校長に掛け合った。子どもたちを内部被ばくさせないよう、給食の食材の産地に配慮してもらいたい。昼休みに校庭で遊ばせないでほしい。それまでPTA活動ぐらいしか経験のなかった瀬田さんだったが、子どもの安全を守るために動きだすのは当然だと思っていた。「周囲の反応? なかったです。むしろ空気を読まないヘンな人だと思われていたみたいで」  仲間がいない孤独の中、校内で同じ不安を抱える母親と出会えた。すぐにツイッターで呼びかけ、他校の保護者ともつながって「世田谷こども守る会」を立ち上げた。

        続きは本紙で...


せた みき

1968年大分県生まれ。大学から東京に在住。ファッション雑誌の編集者を4年務め、結婚、出産後に退職。2011年東日本大震災の福島原発事故後に「世田谷こども守る会」を設立、共同代表に。福島の施設などに贈るクリスマス募金は現在も続けている。

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 加入者名:婦人民主クラブ
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