(c)落合由利子
月に1回、東京・世田谷のコミュニティスペース「ふかさわの台所」で、小さな子どもと親に向けて「ミキズランチ」を開いている、瀬田美樹さん。去る1月のメニューは鶏ひき肉の白菜巻き、卵かけごはん、デザートはスペイン・バスク地方の黒いチーズケーキ。瀬田さんの料理は、珍しくて美味しくて、しかも安全な食材で作られていてファンが多い。
「食べることが好きなんです。授乳中のママも来るので野菜や肉の産地、無農薬など安全には気を配ります。子ども連れでレストランに入りづらい親にとっては、子育ての情報交換の場にもなっているみたい」 必ず話すのが食材のこと。「鶏肉もブラジル産だと安いけれど国産にしたよ」「きょうの野菜は長野の有機野菜でね」。食の安全を話す時、福島原発事故のことにも触れる。当時子どもで事故のことをよく知らない親もいるからだ。「私にとっても3・11は生き方を見直す転機になりました」と瀬田さんは言う。
東京にも原発事故の数日後、飛散した放射性物質(プルーム)が降り注いだ。 「正しい情報もよくわからないし、不安だけれどだれも守ってくれない。子どもは4歳、11歳、13歳。家では産地を選べるけれど、小学校に通う長女の学校給食が心配でした」
一人で校長に掛け合った。子どもたちを内部被ばくさせないよう、給食の食材の産地に配慮してもらいたい。昼休みに校庭で遊ばせないでほしい。それまでPTA活動ぐらいしか経験のなかった瀬田さんだったが、子どもの安全を守るために動きだすのは当然だと思っていた。「周囲の反応? なかったです。むしろ空気を読まないヘンな人だと思われていたみたいで」 仲間がいない孤独の中、校内で同じ不安を抱える母親と出会えた。すぐにツイッターで呼びかけ、他校の保護者ともつながって「世田谷こども守る会」を立ち上げた。
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