(c)落合由利子
2018年8月2日、東京医科大学の入試において女性差別があったことが報道された。日本女医会は直ちに抗議声明を出し、理事の青木正美さんは、翌日の抗議集会に駆け付けた。後に他大学医学部の性差別も明るみになり、青木さんはこの問題に関わり、本紙にも語ってくれた(19年1月1日号)。 青木さんは東京・銀座にあるペインクリニックを専門とする「青木クリニック」の院長。医師として忙しい日々の傍ら、長年、災害復興のサポートなどさまざまな活動を行う。その原動力となったものは何だろう。
医者が多い家系で育ち、漠然と自分も医者にと考えた。近所の鰻屋で料理人が鰻をさばくのを見ては楽しそう!と思い、カエルの解剖も大好きだった。 小学5年生の時、母親が交通事故に遭い、右腕を損傷した。 「母は1週間後に腕を切断されるまでとても痛がった。誰もその激痛をとることができず、医者の父もおろおろするだけ。自分は痛みがとれる麻酔科医になろうと思ったんです」
右腕を失った母親は喪失感から立ち直ると、車の運転免許を取り、片手で料理でも何でもこなした。「母は技術者と一緒に義手の改良もした。そんな両親の弱さと強さは私に大きな影響を与えました」 そして本当に麻酔科医になった。医師になって5年目、父親の病気を機に地元東京・築地に戻り、父親の医院で働くことに。しばらくして地元の先輩から日本女医会に誘われた。
「先輩たちから多くの話を聞きました。最初の女医・荻野吟子たちは半端ない覚悟で医師になったけど風当りも強かったと。昨年の医大女性差別を聞いて130年間変わってない! って本当に腹が立ちました」
続きは本紙で...