(c)江里口暁子
奈良で古民家カフェを営む能登山晶子さんと、大阪で暮らす私をつないでくれたのは「水俣病」である。私は一般財団法人水俣病センター相思社の永野 三智さんの著書『みな、やっとの思いで坂をのぼる』を読み、今さらながら「水俣病を知りたい」という思いに駆られた。
能登山さんは20年前、友人宅で食べた水俣のみかんの味に感激したことから水俣病と出会う。みかんは、水俣病のために漁ができなくなった漁師たちが、生計を立てるために始めた果樹栽培で収穫されたものだった。友人から教えられ、能登山さんは再び驚く。「えっ、水俣病ってもう終わったんじゃないの?」と。漁ができなくなったのは、魚の有機水銀汚染が広がったことと、水俣病にかかった漁師たちの重い体調不良からだ。彼らは被害者でありながら、水銀に汚染された魚を売ったという「加害者意識」があった。「農薬を使うことで、また加害者になってはならない」という思いから、無農薬での栽培に取り組んできた。そのことを知った能登山さんは「横面を張られた気分だった」と話す。
能登山さんは子どもの頃から食べることが大好きだった。しかし10代の頃、重度の「砂糖依存」に苦しんだ。クッキーの袋を開ければ、一袋を食べ切らないと気がすまない。ドーナツ10個も一気に。中途半端なダイエットをしては失敗し、さらに依存は加速した。ある時、東洋医学の本を読み、自分がいかに体を粗末に扱っているかを知る。時間をかけて「食養生」を学び、無理なく食生活を整えると、体重はいつの間にか10㌔以上減っていた。
以来、能登山さんは、「自然食」を意識した食生活を続けていた。2011年には、それを生かしたカフェを開店。「水俣病」を知った時、自分の「自然食」がいかに上っ面なものだったかを思い知らされたという。
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