(c)落合由利子
ポンナレットとは、カンボジア語で「輝く子ども」という意味。凛として立つポンナレットさんの目からは力強い光が放たれる。ポル・ポト政権による虐殺を生き延び、15歳で来日、16歳で小学校に入り日本語を学んだ。その体験を3冊の本に綴り、2018年度女性文化賞(注)を受賞。理由は「学びたいという強い意欲をもって、発信する力を自分で獲得し、母語でない日本語で本を書き、その中で過酷な体験を訴えるだけではなく、対話を通してお互いに和解し、平和な世界をつくりたいと訴えてきたこと」だった。
ポンナレットさんは1964年、プノンペンで国立図書館長の父親、女学校教員の母親と8人きょうだいの家庭に育った。プノンペンは活気のある美しい街だった。「お母さんは『勉強しなさい』なんて言わない。雨の日にびしょぬれになって遊んでも叱らない。お父さんは満月の日にはバイクでメコン河のほとりをドライブしてくれる優しい人」。しかし75年、10歳の時、ポル・ポト率いるクメール・ルージュが政権をとり、この幸せは崩れた。知識階級、都市住民は敵視され、プノンペン市民は農村地帯に強制移住。父親は連行されて帰らず、前年日本に国費留学した長姉だけが難を逃れることができた。
家族はばらばらにされ、母と4人のきょうだいは栄養失調や虐殺の犠牲となる。ポンナレットさんも飢えからカエルや野ネズミまで食べ、酷暑の下、裸足で森の開墾や田んぼの造成、イモの栽培をし、マラリアによる高熱など、厳しい体験をした。偶然、2人の兄と再会して、政権崩壊後も内戦状態が続くなか、命がけで地雷原を通って国境を越え、タイの難民キャンプにたどり着いた。そこで日本のNGOとつながり、姉のいる日本に来たのだった。「平和な国、日本へ」という期待の目に映る東京の夜景は輝いていた。
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