WOMEN'S DEMOCRATIC JOURNAL femin

  • HOME
  • >
  • インタビュー

インタビュー

パレスチナ女性行動委員会元リーダー

ファドワ・アルラバディさん

  • 2018.9.25
  • 聞き手…清水さつき
  • 撮影…落合由利子
  • 通訳…古沢希代子

ファドワ・アルラバディさん

(c)落合由利子

パレスチナ女性の抵抗と連帯を育む

 

イスラエルの占領下にあるパレスチナで長年、女性の権利運動に邁進するファドワ・アルラバディさんが来日し、日々抵抗の中に身を置く女性たちの市民権について講演した。この機会に、パレスチナの女性の権利状況を聞きたいと考えた。  パレスチナ人にとって忘れられない「ナクバ(大災厄)」。1948年、イスラエル建国によりパレスチナ人が土地から追い出され、多くが難民になった。ファドワさんはその前年に生まれ、父親が急死した20歳の頃から家族の生活のために教員として働き、後に大学に進む。

パレスチナ女性の権利のための運動に携わるようになったのは70年代から。「若い人たちとボランティアグループを組織して、地方や農村・難民キャンプで社会的弱者の支援をしました。そこで女性たちが直面する問題に気づいたのです」

 当時のイスラエル被占領地パレスチナは自治がなく、社会サービスが遅れていた。ニーズを調べ幼稚園や学校を整備し、病院や高齢者施設で働く中で、夫からの一方的な離婚や暴力に悩む女性の声が聞こえてきた。学校に通うことが許されなかったために読み書きができない、働きたいのに子どもを預ける施設がなくて困っている…。高校に通い続けたい女性の家族を説得したこともある。

 そして77年に「女性行動委員会」を立ち上げた。活動を始めたのは東エルサレムとラマッラー、そしてガザへ全国へと拡大した。女性たちの希望をもとに、教育、裁縫のスキル向上と幼稚園の運営を始めた。助けられた人が次に助ける人になり、宗教や政党を超えてつながったこの女性行動委員会は、現在も受け継がれている。  抵抗運動によってあちこちの家族に逮捕者や犠牲者が出て、家屋の破壊も日常的に起きていた。女性行動委員会は女性に政治活動や抵抗運動への参加を促し、組織していった。第1次インティファーダ(87年、パレスチナ人による組織的抵抗運動)の10年前のことだったが、「この基盤があったからインティファーダが起きるとデモを組織したり、イスラエルが封鎖した地域に密かに食料を運び込む運動も担えたのです」。

        続きは本紙で...


Fadwa Allabadi

1947年エルサレム生まれ。元アルクッズ大学ジェンダー研究センター所長。2000年の女性国際戦犯法廷の際の「国際公聴会」出席が初来日。占領下の女性への暴力や自身の逮捕経験などを発言した。趣味は野菜や果物の栽培。日本の乾物も好きという。

【 新聞代 】(送料込み)
 1カ月750円、3カ月2,250円
 6カ月4,500円、1年9,000円
【 振込先 】
 郵便振替:00180-6-196455
 加入者名:婦人民主クラブ
このページのTOPへ