(c)落合由利子
たくさんの肩書に、どんな女性が来るのかと緊張していた。リケジョ、起業家、「希望するみんなが保育園に入れる社会をめざす会(「#保育園に入りたい」)」発起人。「クオータ制を推進する会(Qの会)」ではロビイングも積極的に行い、「政治分野における男女共同参画推進法」成立にも力を尽くした。3人の娘の子育てと同時に、認知症の母の介護もしている。
「どんなガンダムみたいなスーパーウーマンが来るかと思っていたでしょう?」
天野さんが育ったのは、3人の兄と両親の6人家族。母・父方いずれも祖父が元軍人で、壁には教育勅語が掲げてあった。家事を手伝うよう言われるのは3人の兄でなくいつも自分。なんかおかしいと感じたが、小学4年生の頃、男女雇用機会均等法の成立を知り、「大人になる頃には、世の中の男女平等が実現しているはず」と考えた。 メディアには、上野千鶴子さんや田嶋陽子さんら「怒れる女性たち」が登場していた。その頃はまだ、あの人たちは自分の実力不足を男女差別のせいにしているのだと受けとめていた。
大学で建築学を学び、総合職として大手企業に就職した。だが、出産した女性が激務に耐えるのを見て、この会社で子育てをしながら仕事を続けるのは難しいと感じ転職。次の会社では同じく総合職として、オフィスの設備やレイアウトを変えて働き方の変革に取り組むコンサルティング事業にかかわった。
状況が変わるのは第1子を出産後、会社から一般職勤務を言い渡されてからだ。これはマタハラ、労働基準法に抵触する不利益変更だが、初めての子育てで不安もあり、了承せざるを得なかった。だが問題はこれだけではない。時短勤務を選択して、給料が出産前の3分の1程度に減ったのだ。労働局にも駆け込むが、解決には至らず、単なるカウンセリングで終わる。 「私、ただ出産して帰ってきただけだよね、おかしくない?このシステムって」
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