(c)落合由利子
この夏、沖縄戦に新たな側面から光を当てる映画が公開される。ドキュメンタリー映画『沖縄スパイ戦史』。八重山諸島の戦争マラリア、故郷の山々に隠れて米軍と戦った「護郷隊」の少年ゲリラ兵、“スパイ”虐殺…背景には、住民を情報収集や攻撃等に利用し監視する、「秘密戦」と称する旧日本軍の方針があった―(詳細4面)。 監督は映画『標的の村』などで知られる三上智恵さん(本紙2013年6月5日号1面)と、八重山諸島の「戦争マラリア」を取材したことがあるジャーナリストの大矢英代さん。2人は琉球朝日放送局で2年ほど一緒に働いたことがあり、今回の映画化では三上さんから大矢さんに声をかけた。
千葉県の習志野駐屯地の近くで、射撃訓練の音やパラシュート部隊の落下訓練を見て育った。日常生活の一部だったので、自衛隊はもちろん米軍への疑問は持ったことがなかった。
転機は英語の教師を目指して20歳で米国留学をした時。ある日、授業に招かれた対日本政策専門の外交官が、沖縄の米軍基地のことを話した。彼の「沖縄の人は経済的に潤い、大変いい関係だ」との言葉に「ちょっと待って、おかしいぞ」。当時沖縄に関心がなかった大矢さんだが、ニュースで流れる米軍絡みの事件・事故、県民大会は知っていた。違和感を伝えると彼は鼻で笑いながら言った。「沖縄に基地があることはいい取引だ。中国や北朝鮮が攻めてきたら米国の青年が死んでくれる」
当時はリーマンショック前夜で、大学でも学費の払えない学生が出始め、学内で米軍のリクルートが始まっていた。 「あの外交官は、米国の若者の命も、沖縄の人の命も何とも思ってないんだとショックを受けました。もっと悔しかったのは私自身が言い返せなかったこと。当時戦争被害者の支援をしたいと思い始めていましたが、被害者を生む軍隊は沖縄から出ている。日本に帰ったら沖縄に行きたいって思いました」
続きは本紙で...