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源淳子さんが著した『自分らしい終末や葬儀の生前準備』(あけび書房)は終活本のようだが、決してマニュアル本ではない。「生老病死を考える」とサブタイトルにあるように、人生をどう考え、どう締めくくるかという思考へといざなう。
大学講師だった源さんはフェミニズムの視点から、著書や講義で、日本社会がはらむ宗教、女人禁制、家父長制などの女性差別、部落問題、戦争、天皇制といった問題をあぶりだしてきた。その源さんが、24年間人生をともにしたおつれあいを2年前に病で亡くし、深い喪失感を埋めるためにつづり始めたのがこの本。葬儀は、ご遺体を葬儀会館に安置してもらい、その一室で僧侶の友人が読経し、焼香ののち火葬場に運ぶ直葬であった。この本を読んで驚いたのは、源さんが火葬後、遺骨を拾わなかったこと。仏壇も墓もない。しかしこれは、源さんも亡きおつれあいも帰依する親鸞の、自分が亡くなったら賀茂川に遺体を流して魚のえさにせよ、という考えをよりどころにしているからだった。
源さんは島根県の山間部にある浄土真宗の小さな寺に生まれた。住職の父親が権力をもち、母親は父にしたがう。「女の子が大学院まで行ったら結婚してくれる人がいないから幸せになれない。弟なら喜んで行かせてやるのに」と学費を出してもらえず、魚の頭は弟、自分はしっぽ、家事の手伝いは自分だけ。「お寺のお嬢さん」への村の人たちの視線は厳しく、人に会ったのに気づかずに通り過ぎて家に帰ると、「今日、あんたが挨拶してくれんかったと、言いに来たよ」と母に注意される。家と村落共同体の縛りは強かった。しかし、祖父母から学資を出してもらって京都で大学院に進み、ゼミで親鸞を学ぶ。そして親鸞の「国王不礼」「父母不礼」「神祇不拝」という、あらゆる権威を礼拝せず、頼りにせず、毅然として独り立つ姿勢に惹かれていった。
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