巨大なフレームアップ事件を伝える
1月29日、東京代々木の正春寺。「大逆事件処刑百年追悼会」はぎっしりの人だった。昨年からの大逆事件100年関連のイベントはどれも満員で関心の高さがうかがえる。日本が軍国主義に向かった100年前に起こったことが、今を考える上で大きな意味があると気がついた人が多いからだろう。この日も大岩川嫩さんが受付にいた。
「私は裏方ですから」と固辞する大岩川さんを説き伏せ、東京・武蔵野市のご自宅を訪ねた。
大逆事件。1910年社会主義者・無政府主義者の幸徳秋水、管野須賀子ら26人が、天皇暗殺を企てたとされて大逆罪で捕らえられ、翌11年1月秋水ら24人が死刑判決を受けた事件である(その後執行されたのは12人)。
現在では、大逆事件は国家権力によるフレームアップ(でっちあげ)であり、日本における社会主義思想や反戦思想を根こそぎ弾圧する意図のもとに行われたというのが定説である。
1960年4月、「大逆事件の真実をあきらかにする会」(以下、「あきらかにする会」)はスタートした。この会は大逆事件の生存者の坂本清馬さん(高知県出身)と刑死した森近運平(岡山県出身)の妹・森近栄子さんの再審請求を支援する会として活動を開始する。61年1月18日、判決50年を期して再審請求を東京高裁に提起したが、65年請求は棄却、67年には最高裁で特別抗告も棄却された。
「50年前とまったく同じ論理だった」と大岩川さんは語る。
戦後も高知県中村市にある幸徳秋水の墓は鉄柵で囲まれ、通学路でそのそばを歩く子どもたちは、墓のほうを向くな、唾を吐いて通れと教えられていた。
再審請求が却下されて以来、「あきらかにする会」は司法に期待するよりも、大逆事件の真実を社会に広め、市民的復権を求めて活動してきた。
近年では、大逆事件に連座した人々の復権、あるいは顕彰という動きが各地で加速し新しいうねりとなっている。最近では郵便不正事件(村木事件)などの検察の暴走と対比される。
「大逆事件はその原点です」
当時大審院次席検事だった平沼騏一郎は、大逆事件を主導した功績で後に首相となった。自民党時代、大臣を歴任した平沼赳夫衆議院議員はその養子である。
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おおいわかわ ふたば
1933年生まれ。東京育ち。日本近代史を専攻。「大逆事件の真実をあきらかにする会」発足時からのメンバー。『《復刻版》大逆事件の真実をあきらかにする会ニュース』(ぱる出版)に「『ニュース』の生い立ちのこと」などを執筆。