WOMEN'S DEMOCRATIC JOURNAL femin

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インタビュー

カンボジアの子どもの未来をつくる

ペン・セタリンさん

  • 2011.09.25
  • 聞き手…岡田真紀
  • 撮影…落合由利子

ペン・セタリン

物語を通して心を耕す

ペン・セタリンさんは、カンボジアのプノンペン大学院教授として言語人類学を教えながら、東南アジア文化支援プロジェクト(CAPSEA)の代表として、カンボジアの子どもたちを支援している。車の移動図書館で村々を回り、学校に行けない子どもたちに本を読み聞かせたり、学校を訪れ、校庭の木陰で子どもたちと本を読む。カンボジアのお話だけでなく、「笠地蔵」「鶴の恩返し」などの昔話、新見南吉の「ごん狐」、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」など、セタリンさん自らがクメール語に翻訳した日本の物語も車には積まれている。  カンボジアは、タイやベトナムなど隣国の圧力、中国、アメリカ、ロシアといった大国の思惑に翻弄されて、美しく豊かな国土も、「クメールの微笑み」に満ちていた人々の心も荒れていった。「血と涙の海の上に富を築くのではなく、持てる者は持たざる者に分かち与えるという昔の文化を取り戻してほしいの。日本の優しいお話は具体的で、子どもたちが自然に誠実さや友情を学べる」とセタリンさんは言う。  戦火はおさまったとはいえ、学校の制度はまだ整わず、チョーク代や紙代が払えずに学校に行けない子どもや、親の手伝いをするために学校に行かせてもらえない子どもがたくさんいる。子ども自身の幸せのためにも、カンボジアの未来のためにも、本によって子どもの世界を広げたいのだ。  セタリンさんは、1974年、20歳の時に日本の文部省(当時)の留学生として来日した。希望に燃えた留学だったが、これが愛する父母との永遠の別れとなってしまった。  来日した翌年、ポル・ポトの率いるクメール・ルージュが政権を取り、プノンペンの家族はすぐに連行され、消息が途絶えてしまった。必死でつてをたどって家族を探すが、連絡が取れたのはそれから5年後。7人いた弟妹のうち3人だけが農村での強制労働や飢餓から生き残り、国会図書館長をしていた父親、小学校教師だった母親、他の4人の弟妹は衰弱や虐殺などでもうこの世にはいなかった。
続きは本誌で...


ペン セタリン

1954年プノンペン生まれ。東京学芸大学・大学院卒業。移動図書館や児童館運営のための寄付やCAPSEA入会を募っている。郵便振替 00110-4-549056東南アジア文化支援プロジェクト
http://www.capsea.info/

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