歴史をひらいた女たち 人物で読むジェンダー史
江刺昭子 著
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私は女性が書いた女性たちの本ばかり読んでいる。で、この本。「時代とまっすぐに向き合い、古い権威や制度と衝突しながら自らを成長させて」いる―最初の「青鞜」の女たちに向けた著者の言葉は、取り上げた女たちに共通のものだ。
新聞社のニュースサイトに連載した時事エッセイの出版化。時々の「時事」を切り口に、息苦しい女性差別の時代をひらいた女たちの闘いにつなげ、「現在」を俯瞰する。
山川菊栄や、日本初の女性社会主義団体「赤瀾会」のメンバーには1970年代直接取材し、学生時代の下宿が縁で原爆作家大田洋子の評伝を書いた。長い間「ひとを書く仕事を続けてきた」著者の真骨頂で、一人一人の息づかいまで伝わってくる宝物のような文章だ。安保闘争で死亡した樺美智子については、自身と同世代の運動経験と重なる時代状況もある。「悲劇のヒロイン」のイメージを拒否する樺の実像を筆した。闘う女たちに共感する著者の視線はどこまでも温かく、読むひとの胸を熱くする。 (の)
- はざまのわたし
- 深沢潮 著
- 集英社インターナショナル2100円+10%
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『乳房のくにで』『李の花が散っても』等で、女性の生きづらさや在日の家族・日韓関係などを小説に描いている著者の待望のエッセイ。“食”にまつわる思い出とともに、在日コリアンの自分や家族を語る、美味しそうな切り口が特徴のユーモアある自伝だ。
語りは軽快だけれど、病気で亡くなった姉、自分や家族が受けた在日コリアンへの過酷な差別、子育て中の母親に対する世間の冷たい視線など、悲しくつらい話は重く心に響く。そして著者は自分の失敗や負の感情も赤裸々に語る。価値観の違う両親との葛藤、親友へしたことの後悔、恋愛至上主義やルッキズムに価値を置いていた若い頃…。自己否定感や罪悪感などを伴うエピソードに共感し、読む者も自身の過去に誘われてしまった。
キムチ、ゆで豚(ポッサム)、ベーグル…等々、様々な食が登場し、おススメの食べ方も書かれ楽しい。怒りがわいても失敗しても、美味しい物を食べて元気出そうと思える幸せな本に出会った。 (り)
どうして「体育嫌い」なんだろう
井谷惠子、井谷聡子、関めぐみ、三上純 著
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- どうして「体育嫌い」なんだろう
- 井谷惠子、井谷聡子、関めぐみ、三上純 著
- 大修館書店2200円+10%
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子どもの頃に肥満児だった私は、体育の授業が嫌でたまらなかった。何をやってもまともにできず、同級生たちの視線にさらされる数分間は拷問のよう。
決してからだを動かすことが嫌いだったわけじゃない。風を切って走る気持ち良さやチームでうまく動いた結果、点が取れるバスケットボールの楽しさも知っている。それでも、思い出の中の体育の授業は悪夢としか言えない。
男女別に分けられたチーム編成、体操服も男女別、そして水泳の授業中あびせられる男子たちの値踏みする視線。
同じように感じている人は多く、本書はその声を丁寧に集めて分析する。体育の授業がなぜあんなに苦しかったのか、それは「私」の問題ではなく「社会のしくみ」の問題だったのだと、霧が晴れるように理解できた。今からでも遅くない、運動が本当は楽しく気持ちの良いものだと子どもたちに知ってほしい。 (J)