フェミニスト・シティ
レスリー・カーン 著 東辻賢治郎 訳
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フェミニスト・シティ
- レスリー・カーン 著 東辻賢治郎 訳
- 晶文社2000円
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都市は女性たちに、家父長制家族から解放されて自由に歩き回る可能性をあたえる一方で、都市への権利を制限してきた。特に公共空間にひそむ危険について発せられるメッセージが生み出す恐怖は、女性たちの行動を縛りコントロールするだけでなく、人種的マイノリティーやトランスジェンダー、セックスワーカー、路上生活者に対する抑圧を強化してしまうかもしれない。だからこそ、都市空間に書き込まれた複雑に絡み合う権力地図を読みときながら行動することが重要だ。
著者は自身の体験もふんだんに交えて、インターセクショナリティ視点によるフェミニズム地理学を紹介する。大胆に行動すること、友だち同士で助け合うこと、街頭でデモをすること。わたしたちが日常的に行っている実践のすべてが、資本による再開発や植民地主義の力に抗するフェミニストな空間を作り出し、都市の権力地図を書き換えるプロセスの一部となりうるのだ。(も)
「不穏です」。このひと言で始まる本書は、実際、「不穏の書」だ。読み手は著者に連れ回され、時代や国境を超えて旅をし、あの人この人の声を聴き、知らなかった芸能の世界にズブリと足を突っ込むことになる。足尾、水俣、八重山、大阪・猪飼野、韓国・済州島。石牟礼道子、谺雄二、金時鐘。瞽女唄、説教祭文、浪曲、パンソリ…。筆者自身、祭文語り渡部八太夫と組み、「口先案内人」を名乗って浄瑠璃(じょろり)の旅を重ねている。日々の営みとともにある芸能を掘り起こし、案内人を買って出る筆者の意図は明確だ。芸能を飼いならし、漂白し、それでも意に沿わないものは抹殺してきた「近代」、その本質を問い、こんなもんぶっ壊そうぜと唆す。
いったい、自分が芸能だ伝統だ文化だと思っていたものはなんだったのか。呆然としながらも爽快な心持ちにもなる。芸能も私たちもやりたい放題でいい。それでこそ芸能であり、人間なのだ、と。うーん、不穏だ。(シ)
さみしさは彼方 カライモブックスを生きる
奥田直美、奥田順平 著
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- さみしさは彼方 カライモブックスを生きる
- 奥田直美、奥田順平 著
- 岩波書店2000円
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カライモとは南九州でのサツマイモの呼び方。著者の一人、奥田直美さん(本紙2020年2月5日号1面)は高校生の時に、水俣で言葉を紡いだ故・石牟礼道子さんのエッセイに出会い、「土に根付いた言葉」に衝撃を受けた。以来「石牟礼道子」「水俣」を想いながら、夫の順平さんと京都で古本屋「カライモブックス」を09年から営む。そんな二人のエッセイ集だ。
共著だが、「言葉のアプローチの仕方が全然ちがう」(直美)ので、見方や感触の異なる言葉が並ぶ。二人の子ども「みっちん」(石牟礼さんの幼少期の呼び名)も含めた日々の営みの中で、ふとこぼれだしたり、時には得体の知れぬままくすぶる感情や思いを、それぞれが丁寧にすくい言葉にして綴る。我が身のさみしさも、原発事故の怖さも、やるせなさも、喜びも-。二人の奥深くから発せられた言葉は、心にしんと沁み、思索に導かれる。今年夏、カライモブックスは石牟礼宅に移転する。どんな言葉が紡がれるのか楽しみだ。(汪)