出生前診断とわたしたち 「新型出生前診断」(NIPT)が問いかけるもの
玉井真理子、渡部麻衣子 著
|
- 出生前診断とわたしたち 「新型出生前診断」(NIPT)が問いかけるもの
- 玉井真理子、渡部麻衣子 著
- 生活書院2200円
|
|
出生前診断をめぐる深い考察である。妊婦の血液検査でダウン症などが高い確率で調べられる「新型出生前診断」(NIPT)は、昨年から、日本国内でも十数カ所の施設で、臨床研究として行われている。検査を受ける女性は逡巡し、結果告知後、産んでも産まなくても罪悪感などの葛藤を抱え、他方、検査を受けずに出産後、子どもに障害があると聞かされる母親は「なぜ受けなかったのか」と責められる。日本では特に情報提供が貧困な中で「自己決定」させられる。それぞれの「苦渋の選択」を世間が「仕方ない」と受け入れていく間に、出生前診断は「早期化」「大衆化」していく現実を思い知らされた。
「どんな子どもでも安心して育てられる社会」と、この出生前診断は、矛盾する。出生前診断は検査を受ける当事者だけの問題ではない。医学が「生」を支配している現実に目を向け、社会全体で考えていく問題にしたい。(ら)
スクールセクハラ なぜ教師のわいせつ犯罪は繰り返されるのか池谷孝司 著
|
- スクールセクハラ なぜ教師のわいせつ犯罪は繰り返されるのか
- 池谷孝司 著
- 幻冬舎1400円
|
|
「スクールセクハラ」 とは学校で起こる性暴力をいう。教員と生徒、顧問と部員。指導する側とされる側という力関係の構図のなかで、加害者は狙いをつけた相手を巧妙に密室に誘い込み、「秘密」の共有を強いる。被害者が決死の思いで声をあげると、加害者は「拒否しないから受け入れてくれたと思っていた」と一様に驚いてみせる。その稚拙な論理には呆れるばかりだ。一方で、加害者をかばい、被害を否定するなどの二次被害によって被害者はさらに傷付き、精神的にも社会的にも追い詰められてゆく。
スクールセクハラも二次被害も、背景にあるのは人権を軽視し権威や権力に従順であることをよしとする学校の風土であり、体罰にも通じる。子ども同士や教員同士、教員と教育実習生の間にも起こるし、同性間でも起こる。「いやなものはいや」と言える、そしてその思いをしっかり受け止める学校にしなければ、被害も加害も再生産され続けると著者は指摘する。(葉)
生きることの先に何かがある パリ・メニルモンタンのきらめきと闇
浅野素女 著
|
- 生きることの先に何かがある パリ・メニルモンタンのきらめきと闇
- 浅野素女 著
- さくら舎1500円
|
|
この本は、パリの素顔云々という、通り一遍の紹介本でも、フランス社会の論評でもない。著者は四半世紀以上パリに暮らし、家族問題などを中心に日本に発信し続けているジャーナリストだが、今回は彼女自身の生きてきた軌跡を辿る自分史となっている。
メニルモンタンという庶民の町の歴史や風景、移民の増加により多様化するフランスの姿などをていねいに描写しつつ、シングルマザーとしての迷いや苦しみ、こどもたちが巣立った後の人生に向けての新たな決断などが生き生きと綴られている。
深い悩みを抱えながら日常を生き続ける人間たちの姿を見つめ「そもそも幸福こそが人生の目的なのだろうか」と彼女は問いかける。どんな時でも生活は決して止まらない。幸せよりも切実な「何か」が生きることの先にあるはずだと。
人生の後半を迎え、背筋をぴんと伸ばして生をあるがままに背負っていこうとする著者の姿はすがすがしい。(知)