私は私。母は母。 あなたを苦しめる母親から自由になる本
加藤伊都子 著
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- 私は私。母は母。 あなたを苦しめる母親から自由になる本
- 加藤伊都子 著
- すばる舎1500円
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母がふぇみんで活動していた私にとって、永遠の課題とも言える「母娘関係」。著者は、長年多くの女性の相談を受けてきたフェミニストカウンセラーであり、20年近く「母娘関係」のグループ活動や講演なども行ってきた。その経験から、娘が母から解放され、幸せになる方法を、具体例を示して解説する。エピソードに出てくる母娘は、どこにでもいそうなパターンばかりで、必ずどこかは自分の母に似ていると感じるだろう。
著者は、しんどさを抱えた娘に寄り添いながら断言する、「原因は母にある」「母を嫌ってもいいのだ」と。しかしまた、一方的に娘の側からのつらさを示すだけではなく、同じ母娘のケースを、母の側からも描いていく。そこには、社会が女性に期待する「いい母」「いい妻」「いい娘」という幻想が、多くの女性たちを苦しめてきたことがくっきりと浮かび上がってくる。母もまた、娘と同じ女性として、この社会の差別構造に縛られてきたのだと気づくのだ。(順)
在日朝鮮人女性による「下位の対抗的な公共圏」の形成
徐阿貴 著
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- 在日朝鮮人女性による「下位の対抗的な公共圏」の形成
- 徐阿貴 著
- 御茶の水書房5400円
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「大人の中学はあってはならない存在」、でも「なくてはならない学校」―90年代、東大阪の太平寺(たいへいじ)夜間中学独立運動に参加したカン・ウジャさんの言葉だ。生徒の大半が就学機会に恵まれなかった在日朝鮮人女性。教育環境悪化を招く行政措置、民族差別に抗して8年、独立を手にした。
在日朝鮮人3世で社会学研究者の著者は、この運動が在日朝鮮人女性の新たな主体の確立、新たな形の連帯を創り出している点に着目する。多彩な政治社会理論を用い、この運動が「下位の対抗的な公共圏」、つまり“多様なエスニシティ、ジェンダー、世代、年代の人が関わる対抗的な社会空間”を形成した過程を考察し、社会変革の担い手としての可能性を探る。
1、2世の〈語り〉は、運動の内実、一人一人にとっての解放の意味も照らし出す。戦後、見えなくされてきた在日朝鮮人女性の創造的営みから学ぶことは多い。(風)
魂にふれる 大震災と、生きている死者
若松英輔 著
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- 魂にふれる 大震災と、生きている死者
- 若松英輔 著
- トランスビュー1800円
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ハーブ商を営んでいる著者の言葉は、根のある植物のようにあたたかい。本書では、震災の問題を、死者に触れることなく解決を求める社会常識に、疑問を投じている。では、わたしたちはどのように死者に触れるのか?
愛する人を亡くした被災者や、かつての哲学者や宗教者、学者などの「コトバ」から、死者との向き合い方を探り、そして死者が現れるのを待つ生者の姿勢がつづられている。死者を語る人が聞き手に欲していることは、心で死者を感じるという経験を共有して、現実のことと認識されることだと、著者はいう。
「悲しみは、死者が訪れている合図である」。悲しみは今も癒えないという妻を亡くした著者は、終始、死者と生者の関係をつづる。
震災から1年がすぎ、見える形で被災地の復興が進められている。しかし、そこにはそこにいる人しか見えない何かがある。著者は言う。「がれき」は遺物である、と。(み)