2001年5月分
| 5.1.(火) 他称「新右翼」一水会と自称「つくる会」教科書を語ろう/一部用語訂正の居直りの弁 |
| 5.7.(月) ミス世界候補「イ・ア戦」勃発かと右往左往報道に見る「似非紳士」こと朝日新聞の足の位置 |
| 5.16.(水)ブラックパンサーなどのアメリカ黒人運動の暴力主義的ないしは威圧的体質への批判 |
| 5.29.(火) 無印人気は破落戸英雄待望論か、命を捨てる覚悟とか国益とかヤクザっぽい凸凹内閣への不安 |
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無印人気は破落戸英雄待望論か、命を捨てる覚悟とか国益とかヤクザっぽい凸凹内閣への不安
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前任者の森が、あまりにも酷い漏れ漏れの漏れっ放しの品のなさだったから、アメリカで異端者を意味するマヴェリック(註:この下のリンクで、わが電子手紙参照)と評された小泉首相が、俄上昇の人気を博している。小泉は三代目の代議士稼業だそうだが、凸凹コンビの田中は二代目、どちらも、お坊っちゃん上がり、お嬢ちゃん上がり、なのだから、何を仕出かすか、目が離せない。しかも、ともに、なかなかの訳ありの玉である。
俄人気の主たる原因は、森の史上最低人気の反動である。まさか、それを見越したお芝居ではなかっただろうが、密かに状況活用の秘策を練った連中がいたとしても不思議では無い。大手情報機関の番記者などが動いたに違い無い。ともかく、これで、いわゆる保守勢力は、一気に盛りかえした。だが、この種の沸騰型の人気の周辺には、ヒトラーの政権獲得の際の状況を典型として、薄汚い英雄待望の破落戸どもが放つ悪臭が漂う。日本の最近の前例には、東京都の石原知事がいる。時代背景を同じくしていることが明白だ。
わが直接の小泉体験
小泉とは、少し離れた距離からだが、直接、顔を合わせた経験がある。それも、向こうの方が、こちらに注目したのである。その時の実感、または直感と、現在の小泉の特徴は、完全に一致している。単純に言えば、先のマヴェリックの現代的な意味での異端者、一匹狼の性格であり、もしかすると、危険な匂いである。
私が小泉と同席、といっても、彼が演壇のパネラー、私が集会参加者の関係で、直接、会ったのは、毎日新聞労組が毎年12月1日に開き続けている「新聞綱領制定記念日」の会場だった。その当時、私は、毎日新聞労組の集会などの企画の相談に乗る懇談会のメンバーだった。
この種の集会では、集会参加者からの質問を受けたり、意見を求めたりするのだが、私は、議論の盛り上げに一役買うために、内緒で、いわば桜の役を頼まれるのだった。労組の書記局員から司会者にも話が回っていて、ころ合いを見て私が手を挙げると、必ず指してくれるのだった。確か、小泉は、その頃すでに、閣僚経験もあって、郵政省の改革を唱えて、物議を醸していた。当日の集会の内容の細部は覚えていないが、新聞を含む大手メディアの改革の議論があったと記憶する。
私は、その時、放送時間を各種団体が分割して編集責任を持つオランダの放送の例を紹介して、日本の放送でも、それを実施すべきだし、世界一の大手独占体制にある日本の新聞でも、何人かの主張の異なる編集長が紙面を分割して、それぞれが独自性を発揮することも可能だと述べた。たとえば、として、パネラーの名前を挙げて、「この頁は小泉編集長」などと言ったような記憶がある。その瞬間であろうか、小泉が、目に見えるようにピクッと顔を上げて、あの細い目で、私の顔を鋭く睨んだのである。名前を言われたからというよりも、発想の転換に強い興味を抱く性格のように見えた。つまり、変わったことを言う奴の顔を、しっかりと見定めたのである。
「命を捨てる覚悟」とか「国益」とかヤクザっぽいが、その系統だった
『日本経済新聞』(2001.4.30)「風見鶏」欄「高杉晋作と小泉首相/改革に挑む捨て身の異端者」には、「どこか『テロリスト』的ムードが漂う」との批評もある。
小泉が「政治指導者が命を捨てる覚悟」の必要を説けば、凸凹コンビの勇ましいお嬢ちゃんが、「外交には国益」と吠える。何のことはない「破落戸の奥の手」こと「愛国心」の古看板の塗り直しでしかない。
ところが、本日、図書館で遅れ遅れの記事点検をしていたら、これまた右っぽい月刊誌、『新潮45』(2001.6)に、二つの小泉特集記事があった。小泉の秘書をやっている実弟正也の「特別手記/『兄』小泉純一郎の素顔」と「安西弘太」(ノンフィクション・ライター)の「『総理』を生んだ小泉家三代」である。
簡単に言うと、曾祖父は鳶職の出身で、海軍に土木職人を斡旋する人入れ稼業、つまりは、江戸時代からの典型的なヤクザの親分だった。祖父は、それを継いで、土木請負業の「小泉組」の親分となり、通信大臣にまでなったが、渾名は「刺青大臣」だった。背中に龍の刺青をしていたからだ。政治的経歴の始まりは「壮士」だった。政治家の二代目は婿で、薩摩出身、祖父の長女と駆け落ちをして世間を賑わせた。
アメリカでは伝統マフィアの石油業出身大統領、日本でも伝統ヤクザの土木業出身首相、ついでに副首相格の外務大臣までが土木業出身の娘となれば、これは、いよいよ気を付けないと危ないのだが、野党は頼り無いし、市民運動も有象無象の魑魅魍魎だし、困ったことであるが、慌てても仕方が無い。せめて傍杖を食わぬように、気を付けることにする。
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先に、この「日記風」を、もっと軽く、もっと日記に近く、つまりは、できれば毎日でも記したいとの希望を述べたが、まるで実現しそうにない。電子手紙広場に参加していると、そちらの議論の方を優先してしまう。それを、こちらに転載するというのも、いかにも便宜的で、気が乗らない。
そこで、思い切って、別途、電子手紙の自選特集を作った。そして、ここには、電子手紙広場に送るのには刺激が強過ぎる問題を記すことにした。 こう考えた理由の一つには、インターネットを始めて直後の事件の経験がある。
私と直接会って話したこともある同志社大学教授の渡辺武達とやらが、創価学会系の女性向け雑誌、『パンプキン』で私の悪口を書いていて(別途、わが電網宝庫に記事あり)、その阿呆が、民衆のメディア連絡会の電子手紙広場で執筆記事の宣伝をしているのを、発見してしまったのである。
相手も雑誌に寄稿したり、単行本を出しているのだから、法的には、いわゆる「公人」の扱いとなる。執筆した責任を問い、質問するのは当然の行為なのだが、そういうことがまるで分からない前の管理人のM(公人扱いではないから仮名とする)が、「ネチケット」とやらに反すると、いきり立って、始末に負えない。
馬鹿らしいから、一時、その電子手紙広場から退場した。しかし、考えてみれば、子供の遊びのような議論と情報交換の場で、大人の喧嘩が始まれば、驚く人もいるだろう。だから、これからは、そういう種類の意見は、ここで述べることにする。
まず第一が、アメリカの黒人運動のブラックパンサー党の問題である。
ここで以下に再録する私の電子手紙は、電子手紙広場には送っていない。ごく一部の友人に警告として送ったのみで、その中で記した通りに、「私としたことが、意外にも遠慮して、皆様には、報告していないことなのです」という性質の内容である。
なぜ、電子手紙広場に報告しなかったかというと、ブラックパンサー党幹部で、死刑囚の黒人、ムミアの問題を、自分のアイデンティティにして、ムミアの伝記、『死の影の谷間から』の共訳書出版で、ひと仕事した思いでいるような「彼」を、私が、わざと、いじめているかのように受け取られては困るからである。
「彼」も、今や、雑誌記事を寄稿し、共訳書を出ているから、「公人」の扱いで、実名を記しても良いのだが、実は、その実名が分からない。そのことも以下の電子手紙に記した。
私は、パレスチナ解放運動の記事の中で、アラファトPLOに関して、その暴力主義を批判している。小石を投げることに始まるとはいえ、子供だけで1,500人(註)も死ぬ結果を招いている暴力主義的抵抗運動に対して、あえて批判の対象としている私が、ブラックパンサーからネイション・オブ・イスラムに至るまでのアメリカ黒人運動の暴力主義的ないしは威圧的体質への批判を躊躇うのは、筋が通らない。
註:米軍放送の中のアメリカ公共ラディオ報道によるアラブ側の数字。拙訳『偽イスラエル政治神話』p.257.では、イスラエルの人権同盟、ベートセレムの数字として17歳以下を233人としている。
私は、やはり、1960年代以降に激化したブラックパンサー運動を、日本の赤軍派に類したものと考えている。さらには、その後に燃え盛ったアメリカの白人優越主義の狂気をも、その反動と位置付けており、行き過ぎの運動の犯罪的性質については、徹底的な批判を展開する予定である。その無反省を放置すれば、またまた、同じ愚行が再生産される可能性が高いからである。これも本当に困ったことだから、この件は、当面、親展で個人宛に送った電子手紙から、上記の「私としたことが、意外にも遠慮して、皆様には、報告していないことなのです」という部分の他にも一部を削除して、わが電網宝庫の中のここだけに直接入力して置く。
送信日時 : 2001年 4月 17日 火曜日 7:57 AM
件名 : Re: 『死の影の谷間から』 これは親展です。
ご存じの通り、民衆のメディア連絡会の例会でのムミア報告の際、「ムミア支援のデモ」が、事件の現場で立ち止まりもせず、いささか議論になりました。
あの怪し気なTY放送業界のそのまた苦界に身を沈めていた私は、映像記録の使われ方には敏感です。はてさて面妖な、と思ったものの、自ら偽名と呟き、5年牢屋にいたと呟き、その癖、ムミアへの関心を自らの体験と結び付けて語ろうとはせず、非常に攻撃的で無気味な彼とは、接触したくなかったので、黙っていました。
ところが、その直後に、ニューヨークで開かれた「NATOを裁く独立戦争犯罪法廷」に参加した際、以下の三つの現象を見聞したのです。
第一は、その法廷の主催者の国際行動センターの事務所の壁に、ムミア支援組織の粗末な横幕が貼ってあったことです。
第二は、しかし、法廷(とはいっても実は寄せ集めの大衆集会ですが)では、他のあらゆる市民運動、国際運動、イラク、キューバ、ユーゴなどの大使、ごちゃまぜの発言があったのに、死刑囚という決定的に重要なはずのムミアの支援者の出番はありませんでした。午後になってから、法廷の後方にムミア支援者の資料販売用の机が設置され、他よりは大声の呼び込みでしたが、誰も近寄りませんでした。
その直前、昼飯時、午前中に家庭内暴力問題を訴えた黒人女性が隣にいたので、私が、ムミアの支援でこちらにきた知り合いがいるが、と言った途端、彼女は、「ムミア、フン!」と、顔色が蒼く見える程の激しい怒りを示し、取りつく島もなくなりました。
私は、ブラック・パンサーに詳しくないのですが、日本の全共闘時代と同じく、毛沢東の「革命は銃口から生まれる」発言を典型とする暴力主義時代の運動と分類しています。その暴力主義の反省が不十分な運動に対して、同じ肌の色の女性が、強い反発を隠そうともしないのです。
できれば、気を付けて、実情を、お調べ下さい。
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送信日時 : 2001年 5月 7日 月曜日 9:34 PM
件名 : ミス世界候補イ・ア戦勃発で右往左往報道
先日、米軍放送傍受で、物騒な情報こと、「偽」イスラエルのミス・ユニバース世 界大会出場者が、「防弾チョッキを衣装にする」との困ったような、呆れたような、 そこまでしなくても、という感じの篭った解説を聞いていたのですが、わが電網宝庫 読者が送ってくれた以下の『朝日新聞』(2001.4.26.夕)記事によって、どうやら、 これは本当らしい、ということと同時に、アラブ女性との激しい応酬も予想される大 会が、きたる5月11日に迫っていることが判明しました。
この朝日記事の構成の仕方は、パレスチナを巡る国際情勢と同時に、その中での 「似非紳士」こと朝日新聞社の下手糞ゴルフ風の足の位置のずらし方のずるさをも、 見事に反映していると思われますので、一応、全文を紹介し、論評を加えます。
「PEOPLE」欄
イスラエル防衛と批判と
イスラエルとパレスチナの紛争が続く中、テルアビブで18日、ミス・イスラエルの イラニット・レビーさん=写真、ロイター=が、ダイヤモンドをあしらった防弾チョッキを試着した。来月11日にプエルトリコで開かれるユニバース世界大会で着るためだ。「これこそ、イスラエルそのものを表現しているわ。コンテストでは、私たちが直面している現実を見せなければいけないかもしれないから」(ロイター)
一方、同日、カイロで行われたコンテストでミス・エジプトに選ばれたヘバ・マン ドールさん=写真、時事AFP=は、20世紀最大の悪党として、イスラエルのシャロン 首相の名を挙げた。審査員の質問に答えたもので、「彼は人間じゃない。ユダヤ、イ スラム、キリストのどの宗教からも受け入れられないわ」と語り、4000人の観衆の喝 さいを浴びた。(時事AFP)
これからがわが論評ですが、まず第一に、米軍放送には、エジプトの話はまったく 入っていませんでした。今まさに、冷戦構造崩壊後の混沌の最中、アメリカの大手メ ディアは、「ホロコーストの大嘘」をばらまき続け、「偽」イスラエル支持の世論を 必死になって維持する極右政治的シオニストの完全な思想支配下にあるのですから、 この現象は当然です。
朝日記事の最初の部分は、(ロイター)ですから、イギリス系通信社の記事を使っ ています。通信社の配信記事を使う場合には、短くしても良くて、前後の関係で少し は追加しても良いのですが、主旨を変えてはならない約束になっています。
そこで面白いのは、日頃はアメリカ追随の朝日新聞が、(時事AFP)、つまり、フ ランス系の通信社の記事をも併用し、「一方、同日、」などと、許容範囲の付け加え をして、「イ・ア戦勃発」の雰囲気を出し、見出しを「イスラエル防衛と批判と」に していることです。 日本政府は、この「イ・ア」の双方に経済援助をしていて、どちらにころんでも恨 まれないように、姑息な外交戦術を取っています。新首相に関しては、決定直後に、 アラブ人の記者から電子手紙で問い合わせがあり、その質問の最後には、「中東政策 に影響があるか」とあったので、それには「独自性は皆無、ワシントン情報を見てい た方が良い」と答えておきましたが、本日夕刊の「所信表明全文」を見ると、「日米 関係」の強調はあっても「中東」の「ちゅ」の字もありません。
きたる5月11日には、ミス・ユニバース世界大会の報道に御注目下さい。
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この「日記風」は、時折の備忘録的な意味で始めたのだが、予測し難い事件の続発により、ついつい長文を綴ってしまって、他の連載記事と入り乱れている。先月の4月にも、文部科学省とやらへのサイバーテロ(「西馬当てろ」と聞き取って、何じゃろと思った片仮名語音痴もいたらしいが)から、それと原因が同じ「NHK-ETV戦争を裁く」直前改変騒ぎが重なり、電子手紙広場への投稿を優先せざるを得なかった。
今月の冒頭も、その続きとなる。
送信日時 : 2001年 5月 1日 火曜日 8:06 AM
件名 :[union 2878] 「新右翼」一水会と「つくる会」教科書を語ろう
以下は、民衆のメディア連絡会の電子手紙広場(420人超過)に送ったものと同文ですが、ほとんどが、出版労連の最大の政治的または業種的課題、教科書のことなの で、ぜひとも御覧頂きたく、ここにも送らせて頂きます。なお、本日、杉花粉は減少 ぎみのようなれど、仕事の締め切りに追われ、関東組の飲み会にも行けません。皆様、飲み過ぎないように、お気を付け下さい。以下が同文です。
文部科学省へのサイバーテロ(私は右でも左でもテロはテロ説)を巡る議論が、はっきり言えば、枝葉末節の揚げ足取りの応酬となり、まったく、斜め読みすらする気が起きません。
そこで、話をもとに戻すために爆弾宣言をすると、私自身には読む暇も語る暇もな いのですが、さる4月25日夜、新宿歌舞伎町ロフトプラスワン「右翼は終わってねえ ぞ!」の舞台の上で隣に座っていた他称「新右翼」の「一水会」元書記長、現顧問で 評論家の鈴木邦男さんが、『朝日新聞』(2001.4.14)「オピニオン」欄に「歴史認識 /違い認めて自由に意見を」と題する寄稿をしています。4月25日夜には、この件の 話をする時間がなかったのですが、ともかく、「言論の土俵」を求める点では、意見 が一致します。
さて、これがスポーツなら、いやさ、戦争なら、孫子曰く、彼(敵)を知り、己を知る者、百戦して殆うからず。つまり、対戦の相手と同時に、味方または自分の長所 と弱点を、徹底的に研究することこそが、次なる勝利への基本方針なのです。 ところが、こと自称「科学的」社会科学となると、いわゆる「階級敵」への憎悪を 掻き立てたカール.マルクスの秘めたる権力主義(別途、わが電網宝庫で徹底批判を 連載中)の餌食となった人々が、相手の論説を詳しく読みもせずに、ナチの焚書同然 の悪魔化をしてしまいます。
私自身が「ガス室の嘘」を暴いたら、赤軍派紛いの自称左翼の有象無象によって同様の目に遭いました。実は、今もなお、いわゆる左翼ファッショ権力が、ジョージ・ オーウェルの『1984年』さながら、何が何でも敵を作り、仮想の戦時中の恐怖政治に よって足元の「大衆」を支配し続けようとする習性を、先輩の後ろ姿の刷り込みで身 に付けたままで、しかも、それなしには地位を保てず、配下の虎の威を借る狐の輩を、いつまでも、のさばらせているのです。
これはあたかも戦時中に、英語を「敵性語」として焚書し、日系人を中心にして日 本語スパイ教育にいそしんだアメリカに、戦争に負けた後までしゃぶりつくされ、い まだに実質占領下、wimps(女々しい奴ら)などと嘗められっ放しの大日本帝国の阿 呆官僚、つまりは、今の文部科学省の苔むす屍そのままのゾンビ横行状況なのです。 日本のいわゆる右も左も、ほとんど「割れ鍋に閉じ蓋」状況の良い勝負、呆れるのを 通り越して、憮然とする他ありません。
結果としては、私を「思想差別」したような連中は、自らの論説をも切磋琢磨で君 子豹変させる機会を失い、旧ソ連の崩壊に至るような、不様な実情を曝しているので す。昔から、他流試合こそが、剣士の腕の磨きどころ。道場破りもできないような内 弁慶は、物笑いの種でしかありません。
私には、教科書とかの子供相手の冊子にまで手を広げる気はありませんが、湾岸戦 争でもカンプチアPKO出兵でも、さらには当然、「ガス室の嘘」でも、思想も立場も 違うだけでなく、腐臭漂う「げてもの」にさえ、鼻をつまんで、目を通しました。こ れが孫子や満鉄調査部に学んだ「スパイ学」の基本です。
鈴木邦男さんは、「保守派文化人の主張に危うさを感じてきた」と書いています。 この発言には、これまでの実績から言っても、下手をすれば命に別条があるほどの覚 悟が秘められているのです。
サイバーテロ支持者とか「つくる会」粉砕論者の皆々様は、「自称革新派文化人」 の主張に「危うさを感じ」たことがないのでしょうか。えっ、そちらも読んだことす らない、ですと、いやはや、これはますます重症ですな。呵々。
送信日時 : 2001年 5月 1日 火曜日 10:36 AM
件名 : 綴じ蓋のドジ踏み告白訂正?
先程、「割れ鍋に閉じ蓋」としたのを、「綴じ蓋」に改めます。寝ぼけ状態で、あ れっ、これでいいのかな、と思いつつ送ってしまったのですが、もともとは音だけの 大和言葉と漢語の押し頂き送り仮名の関係については、これが絶対とはいえないまで も、歴史的事実と照らし合わせると、国語審議会的には、「綴じる」の方が正しい用 法でしょう。念のために、安物「ことわざ辞典」を引くと「とじ蓋」なのですが、安 物辞書にも「綴じ蓋」とあり、「修理」の説明です。
ところが、これもほとんど安物で、近所の友人が「資源回収日」の出物を拾って届 けてくれた「広辞苑」には、「縫い直した」とあります。これが正解でしょう。
というのは、今はただ懐かしいとしか言い様のない風景なのですが、戦後の一時期 まで、東京の郊外にも、鋳掛け屋のおじさんが回ってきました。電気仕掛けのドリル なんて物騒な道具ではなくて、棒に糸を巻いて引っ張ると、鋭い針が回転して、瀬戸 物に小さな穴を開け、そこに秘伝のおそらくは動物の腸とか何かを引き延ばして干し たような糸を通し、まだまだ使えるように縫い直していくれるのでした。当時はまだ 小学生だった私は、魔法でも見るように、じっと眺めていたのでした。
ああ、またドジ(なんでこの安物玩具は、これを一発変換で片仮名にするのか!) 踏んじゃった、猫ふんじゃった、と思って、すぐ側の「どじ」を見ると、語源の説明 がまったくないのです。庶民の言葉の研究不足、いかさま書店、岩波よ、反省せよ!
(2000.5からの日記リンク一覧表示)木村愛二の生活と意見に戻る
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