『市民メディア入門』抜粋紹介

民衆のメディア連絡会編/創風社出版1996年11月20日

表紙

『市民メディア入門』

あなたが発信者!

インターネット黎明期の1996年発行。ワープロ・ビデオ・パソコン通信・FAX通信・フロッピーディスクなどが現役だった時代、関係者たちが様々な思いを込めて作り上げた「市民メディア」手引書。ページのあちこちに当時の熱気が溢れ返り、インターネット・メディアの歴史を知るための貴重な資料でもある。
木村愛二関係部分を抜粋紹介。


●初めてのヴィデオが生み出したもの  木村愛二 p62~63

 わたしは日本テレビの広報部に長年いたので、現場の番組作りの作業を見る機会は多かったが、自分で映像を撮る仕事は一度もしたことがなかった。フリーになってからはむしろ、雑誌への寄稿や単行本作りの活字メディアにのめりこんでいた。

 民衆のメディア連絡会に加わったきっかけは、湾岸戦争の報道操作に関する情報を得るためだった。その時の交流で得たアメリカの市民ケーブル・テレヴィの経験を、1992年出版の『湾岸報道に偽りあり』(汐文社)に生かすことができた。つまり、そこではじめて、商業的でも国営的でもない「民衆のメディア」としてのテレヴィの、具体例に接したわけである。

 湾岸戦争では、テレヴィ映像のインパクトの強さを、いやというほど見せ付けられたし、市民メディアの可能性をも知ったのだが、それでもまだ、自分で映像を撮る気にはならなかった。ところが、湾岸戦争の延長線上に、カンプチア*PKO出兵問題が出現した。カンプチアとヴェトナムヘの取材旅行計画を民衆のメディア連絡会の会合で漏らしたところ、ビデオプレスの松原氏が、8ミリのヴィデオ・カメラを貸すから撮ってこいと言う。結局、1時間の即席講習を受けただけで、現場に向かうことになった。

 帰国してすぐに、民衆のメディア連絡会の共同制作で、これも生まれて初めて自分が出演したヴィデオ作品、『軍隊の影に利権あり』を発表した。折からのPKO出兵反対運動の波に乗って、この市民制作ヴィデオは、2百本を越える予想外の売行きを示した。ヴィデオ上映の後で講演という市民集会への参加依頼も、以後、40回を越えた。

 この時のヴィデオとわたしの話が、いささかでも評価されたとすれば、主たる理由は、カンプチアPKOの本音が「利権開発」にあることを具体的に指摘し、同時に、そういう実状をろくに報道しない日本の大手メディアを真正面から批判したからであろう。われながら下手な映像だったが、日本の大手企業のカンプチアやヴェトナムヘの進出の有様をも、屋外広告や広壮な日本商社のたたずまいによって表現できた。報道内容の質では決して大手メディアに負けない自信がある。

 活字の方では、ヴィデオと並行して月刊『噂の真相』などに、数本の記事を発表した。単行本の『国際利権を狙うPKO』(緑風出版)が出たのは取材から一年後である。ヴィデオの速報性についても、この時間空間の流れの中で、肌身で実感することができた。

(きむらあいじ:フリージャーナリスト)


●(木村愛二の発言と関連部分のみ抜粋紹介)

(p253~254

木村愛二(フリージャーナル) 私がこの運動にかかわったのは、ちょうど湾岸戦争が起きたときです。報道でおかしなことがあったから雑誌に書いていたのですよ。それで「民衆のメディア連絡会」のことが朝日新聞に載ったので、さっそく連絡をとって参加したのです。僕の求めていたような運動だった。

 僕はテレビ局に入ったのだけども、60年安保闘争のときは学生ですから、ビラをガリ版でつくってまいたりして運動していた。テレビ局に入っても組合をやったからビラをつくったし、ニュースもつくった。つまリマスメディアの仕事をやっているなかでミニコミをやっていたわけで、一人っ子の問題の番組だとか、ベトナム関係の番組だとか、放送中止になった番組をスライドとテープで映してまわっていたのです。そのうちにビデオとかいろいろ機材が発達してきた。

 技術的な基盤はもうできている。僕も「フリージャーナル」っていう印刷物のミニコミをつくっていて、みんな「たいへんですね」っていうけれど、僕自身は楽しみでしょうがない(笑)。いまはワープロが発達したでしょ。それからコピーも発達した。印刷機も簡単になった。むしろ、つくるのがうれしくてしょうがないのですね。だから極端にいうと、ジャーナリストでビラつくらない奴はダメだと僕は思っているわけです(笑)。いいたいことはたくさんあるわけですからね。それをマススディアに載せることも必要だけけも、同時に、載らないものも何らかの方法で伝え合うことも必要だと思います。だから、これはしつこくいうしかないけれども、みんなが自分で発言するということをやるしかないですね。

 すでに60年代に、理論的なところでは、送り手と受け手を分けるという考え方に問題があるということは明らかになっています。巨大なマスメディアのなかに送り手の専門集団がいて、そのほかの人たちはみんな受け手であるという考え方自体がおかしい。極端にいえば、それはファシズムにつながる可能性があると僕は思う。メディアの発達というものは同時に巨大な国家をつくり、それが戦争を行なう。

p258

木村 僕は技術もないのに「カンボジアPKOの取材に行く」っていったら、「カメラを持っていけ」っていわれて、マスメディアが報道しない日本企業の進出の問題を下手ながらもなんとか撮ってきた。それが僕のテーマなんですよ。自衛隊のところには、行かないとまずいから行ってきただけ。極端にいうと。

松原 木村さんの作品は、ベトナムのホーチミン市にいかに日本の商社が進出しているか、現地をまわって、商社の看板を全部撮ってきたのをまとめてある。ああいうのは初めてですよね。あのときにはもうビデオの時代になっていたから、カンボジアPKOの記録を撮ろうとした人は何十人もいたのですよ。編集して作品にした人も4、5人いた。でも本村さんのがいちばんインパクトがありましたね。視点がはっきりしていて、PKOには経済的な問題が背景にあるんだ、ということを木村さんなりに主張したわけでしょ。ほんとにテーマとか、目のつけどころが問われているのだと思いますね。


関連 ➡『国際利権を狙うPKO』

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