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禁断の極秘文書・日本放送労働組合 放送系列
『原点からの告発 〜番組制作白書'66〜』-15
メルマガ Vol.15 (2008.03.11)

(第2章 制作条件をめぐって 3 合理化要請と管理体制)

3 あるから仕方ない……

 合理化という経営要請を受けとめる管理体制にはびこる病状は既に述べ
た「何とかなるだろう」という責任放置、「形だけは守って……」という
管理の歪小化と並んで、さらに問題にせねばならないのは「今あるをもっ
てよしとする」現状肯定、現状無批判の管理態度である。
 例えば制作パターンとともに批判が集中しているものにTVリモコン・
スタジオ及びラジオPD収録スタジオがある。リモコン・スタジオ、PD
収録スタジオでの業務の実態、そしてそれが如何にPDの業務内容を悪化
させているかについては他の章(第3章−1)で詳細に分析しているので、
ここではスタジオ条件がいかに一部番組内容そのものの充実、発展を阻害
しているかを示す例をあげるにとどめよう。

 ――最も極端なのは(TV)日比谷−5スタ(R)PD収録である。例
   えばH―5スタでは現在通高英語番組を行っているが、出演者は最
   低2〜3人で(必ずスキットが入る)マイク2本を使用し、ミキシ
   ングはPDが行うのが建前になっておる(当然非常は緊張を余儀な
   くされる)。またセットも固定ライトのため番組の必然的から来る
   要求に応えられるものではない。以上のような条件では、制作も質
   の高い番組は望むべくもない。他の番組も大同小異である。
    何れにしてもこのオートメーションスタジオは(その技術的な性
   能はたとえ世界に冠たるものであれ)プロデューサー、技術担当者
   にとってよりよき番組を作るためには決して良いものとはいえず、
   極度の緊張を強い、過重な労働の実態をもたらすものというのがP
   Dの実感である。
    PD収録についても同様の面があり、質的な向上を望むためには、
   余程の改善がない限り(技術上)問題が残るであろう。(教2)―
   ―
   
 リモコン・スタジオ、PD収録スタジオについて我々はこう考える。技
術サイドからの開発が技術の質的レベルを保証し、番組の必然性からくる
演出上の要求に応えられる場合にのみこれを使用すべきであると。
 しかし職制はそうは考えない。「現にあるんだから仕方がない。それで
できるように工夫しよう。」と考える。「制作パターン……。」、「ED
PS……。やるというんだから仕方ない。やってみれば何とかなるだろう
……。」
 全てはこう受けとめられる。それが本来何のためにあるのかは見失われ
る。それはやがて物神化して全ての上に君臨することになる。
 「あるから仕方ない」、「今あるものは是認しよう」……この考えは、
言い換えれば「現在大過なければ、それでいいではないか」ということに
なる。

 ――担当者の多くはすぐれた日本の会話教育(日本の外国語教育の最も
   大きな弱点であった)をNHKの放送を通して作り上げようと努力
   している。にも拘らず、これに対する配慮が欠如している。基本的
   な文章構造、段階的な会話教育のパターン化等、個人的な担当者の
   努力を越えるものであるにも拘らず、またそれは断続的な研究以外
   には不可能であるにも拘らず、それに対する保障は全くない。むし
   ろ現在視聴率が高く、面白いのだから良いではないかといった安易
   な考え方が職制を支配している。この点に新しい教育番組の芽をつ
   みとるものが感じられる。(教2)――

 担当者は「技術上の権威と重要性を尊重して」、「放送でなくては与え
られない学習効果をあげるように」という「日本放送協会国内番組規準」
の精神にのっとって、自分の担当する番組を真に責任あるものにするため
に(これは担当者にとって当然の欲求であり何人も犯すことのできない基
本的な権利である)必要不可欠の努力をしようといっているのである。上
記の例の場合、その必要は一応認められ、予算措置もある段階までは通っ
たが最終的に却下された。理由はこうである。「あらためてそんなことを
しなくても、今のままで結構じゃないか。安定したお客もついているし、
別にどこからも文句も来ないことだし、仮にこの番組にそのような措置を
認めたら、他の番組でもということになりかねない。」
 「大過ないからこのままで……」という態度をつづけていればかならず
将来破局がおとずれる。その時あわてて末梢的な彌縫策を講ずるという経
過を我々は見続けてきたのである。
 ここには放送教育という新しいジャンル・テレビ文化ともいうべき新し
い文化の創造を担うという主体的責任の自覚は欠落しているのである。そ
してそれを失った時NHKという企業のレゾンデートルそのものが空洞化
するということも。

4 我々の主張

 制作条件に対する当面の我々の要求は極めてつつましい。
 我々は今まで、「現代の映像」「学校放送社会化」等いくつかの実証的
なレポートを見てきた。そこでは、その番組が内外に掲げている「たてま
え」すら現行の制作条件では守られないという事実をみてきた。
 我々は不断の努力によって絶対に守られねばならない原則がある。放送
法、国内番組基準がそれであり、各種番組の基本的な精神なり、フォーマ
ットなりがそれである。
 協会といえども、社会的責任においてそれを遵守する義務を負う。会長
といえども、我々が1日に1時間は考え、読むことの必要を認めている。
職制といえども、フィルムドキュメンタリーの新しい方法の開発とその冒
険のための勉強の必要を説く。職制といえども、番組委員会で決められた
内容について、テキストのねらいにも明記してあるように「テレビの即時
性を生かして最新の社会の動きを現地に取材し、教科書を中心にした教室
の授業では得難い教材を提供する」という規定を否定できまい。
 そしてこの「原則」、「たてまえ」は放送にたずさわる労働者として、
単にNHKの財政というような企業意識をこえたところで、社会的責任、
職業に対する論理について保持しなくてはならないものである。
 「特集番組や重点番組があるからいいではないか……」という考え方も
ある。これは札束番組肯定に通ずる考え方かもしれない。
 しかしNHKの存在を支える原点である日常の番組において、その存在
が空洞化しつつある現状で何の特別番組であろうか。特集企画や国際コン
クールなどが、職制やセクションの事大主義的点取り主義や投機的一発長
打主義に密着していることに問題がある。特集は日常の成果のつみ上げと
衆知の組織的結集でなくてはなるまい。
 「それぞれの番組の掲げるたてまえは最低に保障され得る人員を、予算
を、設備を……」これはあまりにもつつましい要求である。
 しかし、壁は強固である。
 「3カ年を目ざす経済闘争方針案」に「番組制作費を守る闘い」が初め
て掲げられ、それが経済闘争として規定され、全予算闘争の一環として位
置づけられていることを我々は銘記せねばならない。

 ――我々は巷間噂される、日銭2億を越すといわれる現代の王国NHK
   が、その基幹であり、本来の使命である番組制作の分野で、その内
   容がいかに乏しく、いかに空虚な部分を内包しているかについてい
   まさらのごとく驚きを禁じ得ない」(報10)――

 41年度事業支出中、国内放送費の比率は36%、人件費24%であるのに対
し、減価償却費とその関連経費は20%になんなんとしている。
 そして国内放送費や人件費をかくも圧迫するに到っている減価償却費を、
かくも増大させているものに第2次6カ年計画の一環として毎年支出され
る180億の建設費がある。(国内放送費212億、人件費176億。)
 そしてこの180億は、放送法第七条「あまねく日本全国において受信
できるように放送を行うことを目的とする」という規定にしたがっての
「公共放送」の使命というカクレミノの陰で、本質はわが国の他の公企業
の場合と同じく財政投融資的性格を帯び、独占資本のための市場創出、不
況対策という形で利潤源となる役割を演じ、その故にこの180億の背景
には体制維持の至上命令があるのである。
 また我々は現場無視の無方針拡大主義の病弊を指摘し、これ以上の番組
増に対しきびしく反対の意向を表明する。しかし、第一章4・3●?●)
に見てきたごとく、NHKの企業要請からくる「量的拡大」、「全域網羅
主義」の壁は厚く根深いのである。
 その中で我々の掲げる「たてまえは守れる条件を」というとりあえずの
要求は、全く慎ましいが、しかし、固い決意と烈しいエネルギーを内包す
る極めて重大な要求であると考える。現在放送系列を中心に進められてい
るニュース、カラー化反対の闘争も、正にそのような視点から位置づけら
れなければならない。



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