憎まれ愚痴入口木村書店戻る┃  メルマガ1の目次項目別案内

まぐまぐ メールマガジン 週刊『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』
再録版  Vol.71 2005.01.20

[20050120]古代アフリカ・エジプト史への疑惑Vol.71
木村書店Web公開シリーズ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ Vol.71 2005.01.20 ━━
 ■■■『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』■■■
     近代ヨーロッパ系学者による“古代史偽造”に真向から挑戦!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
                      等幅フォントで御覧下さい。
              出典:木村愛二の同名著書(1974年・鷹書房)

  ●叉∞叉∞叉∞叉∞叉●叉∞叉∞叉∞叉∞叉●叉∞叉∞叉∞叉∞叉●

         ┏┻┻┻┻┻┻┻┻┻┻┻┻┻┻┻┓
         ┫   第七章:ナイル河谷   ┣
         ┗┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┛

◆(第7章−11)シャンポリオン ◆ ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

   シャンポリオンは、それなりに誠実な、古代言語の研究者である。だか
  ら、誤訳や曲訳によって、古代人の証言を、否認したりはしなかった。
  
   そのかわりに、新しい論理を発見した。つまり、「肌の色が黒く、髪の
  毛が縮れている」という、この二つの特徴だけでは、黒色人種(ラス・ネ
  グル)と決定はできない、という主張をくみたてた。シャンポリオンは、
  古代エジプトの記録の解読に成功したと同時に、古代エジプト人は、本来
  のアフリカ人ではない、と主張しはじめた。それはどうしてだろか。どう
  いう事情の下に、こういう不思議な考え方がでてきたのだろうか。
  
   まずシャンポリオンは、「有名なヴォルネイ」という表現を使っている。
  すでに紹介した18世紀の旅行家ヴォルネイの主張、つまり古代エジプト人
  は黒色人種(ラス・ネグル)なり、という主張を無視できなかったわけで
  ある。しかも、シャンポリオン自身の文章から察するに、ヴォルネイの主
  張は、当時のフランスで、ほぼ定説化していたらしい。政治的背景として
  は、フランス革命がある。ヴォルネイは、古代文明の建設者と同一人種で
  ある人々を奴隷にするのは誤りである、という見解ものべていた。また、
  フランス本国では、いち早く奴隷制度が廃止された。もっとも、植民地で
  は、なかなかどころか、ますますひどくなった。それはともかく、パリあ
  たりの知識人は、科学的な思考方法を身につけていたし、相当程度に人種
  偏見を克服していた。実際、素直に歴史を考え、事実をみるならば、古代
  エジプト人がコーカソイド(白色人系)などであるはずがない。
  
   しかし、シャンポリオンは、なぜか、このフランス革命期の、明晰な論
  理に刃向いはじめた。そして、1892年、次のような手紙を、エジプトのパ
  シャに送った。パシャとは、トルコ帝国の太守の意味だが、事実上、独立
  王国の君主であった。
  
   「ある見解によれば、古代エジプトの住民は、アフリカの黒色人種(ラ
  ス・ネグル)に属するというのですが、それは長期にわたって真実として
  採用されてきたものの、誤解です。……ヴォルネイはその主張を補強する
  ために、ヘロドトスがコルキス人について考えた時、エジプト人の肌の色
  が黒く、髪の毛が縮れているのを連想した、という例を引合いに出してい
  ます。しかし、この二つの肉体的な形質は、黒色人種(ラス・ネグル)を
  特徴づけるためには、充分なものではありません。そして、ヴォルネイに
  よる、エジプトの古代住民を黒色人(ネグル)起源とする結論は、明らか
  に強引であり、認めることはできません。」『黒色人国家と文化』(p.57
  〜58)
  
   なぜ、こういう手紙を書いたのだろうか。シャンポリオンとエジプトの
  パシャとの関係は、どのようなものだったのだろうか。
  
   これからあとは、状況証拠による推理しかない。こんな事情を書いた本
  は、全く見つからなかった。最小限いえることは、シャンポリオンの調査
  活動が、パシャの援助なしには、不可能だったということである。そこで、
  エジプトのパシャの血統をなす、モハメット・アリ家について、まず追求
  してみたい。
  
   鈴木八司は、モハメット・アリ家について、つぎのように書いている。
  
   「1805年にエジプトのパシャとしてオスマン・トルコ帝国から独立した
  モハメット・アリは、その後1830年にはパシャの世襲権を獲得して王朝を
  たて、専ら富国強兵の目的のために、エジプトにおける経済発達の計画を
  実施していった。
  
   モハメット・アリはアルバニアの出身であって、プトレオマイオス家の
  出身地マケドニアと奇しくも同じ地方である。彼自身エジプトの国語のア
  ラビア語を話さず、かつエジプト人を極端に軽蔑していた。また彼の世襲
  的後継者たちも同様で、エジプト人の民族主義者などは「強い弾圧をうけ
  たのである(『ナイルに沈む歴史』、p.31〜32)
  
   つまり、当時のエジプトの支配者は、イスラム教徒とはいうものの、人
  種的にも民族的にも、ヨーロッパ大陸からきた侵入者であった。アルバニ
  ア人は、少し浅黒く、捲毛の形質が多い。それにしても、比較的に色の白
  い支配者が、相当に色の黒いエジプト人を支配し、しかもお互いに憎み合
  っていた。
  
   また、アリの軍事力の中心は、例のイェニ=チェリの伝統に立つアルバ
  ニア軍団であった。その上、主要敵国には、スーダンの黒色人国家、フン
  グ王朝があった。アリの三男イスマイルは、1821年にスーダン遠征を試み、
  フング王朝を降伏させた。しかし、小堀厳の『ナイル河の文化』によると、
  遠征の帰途、イスマイルは住民に捕えられ、火あぶりにされた。スーダン
  の黒色人住民は公然と叛乱を起した。そして、「怒ったモハメット・アリ
  は北部スーダンをおそい、一年の間に、彼の軍隊は約5万人のスーダン人
  を殺し、通りがかりの村々で掠奪をほしいままにした。」しかし、叛乱は
  つづいていた。
  
   アリは、エジプト人を軽蔑していたし、それにもまして、黒色人を憎ん
  でいた。想像をたくましくするならば、シャンポリオンたちに、「ヴォル
  ネイのように、古代エジプトが黒色人だったなどという邪説を立てるので
  あれば、調査は許さぬ」、とまで脅かしたのかもしれない。
  
   アリ王家は、近代のヨーロッパ列強と同様の位置にあった。つまり、白
  色のヨーロッパ人こそが、すべての文化をつくりだしたのだ、という現代
  神話を必要としていた。エジプトの原住民や、黒色のスーダン人は、被支
  配者にふさわしい、劣等な人種なのだ、と宣伝する必要があった。
  
   そのようなアリ王家の政治的意図と、シャンポリオンの研究が、なぜ合
  致してしまったのだろうか。もっともシャンポリオンは、相当に矛盾した
  ことを口走っている。彼は同時に、「縮れ毛と球状毛の頭髪は、黒色人種
  (ラス・ネグル)の明確な特徴である」、とも書いている。このような矛
  盾を抱えこみながら、シャンポリオンは、何を求めていたのだろうか。単
  に、アリ王家の援助を受けるための口実として、人種分類法をねじまげた
  のだろうか。
  
   わたしは、もうひとつの理由の方が、重要だと推測する。つまり、シャ
  ンポリオンは、古代エジプト文明の驚異を、ヨーロッパの近代文明諸国に
  紹介したかった。古代エジプト史の研究を発展させたかった。だから、古
  代エジプト人を、当時のヨーロッパ人に、「受け入れやすい」形で紹介し
  たかった。すでに当時のヨーロッパは、反動期にはいっていた。フランス
  革命は、ブルジョワ革命としての使命を果し、新しい資本主義の秩序が、
  うちたてられていた。フランス本国では奴隷制度が廃止されたものの、新
  大陸アメリカへの奴隷貿易は、この時期、最高潮に達していた。フランス
  人の奴隷商人も、イギリス人に負けず劣らず、この商売をやっていた。
  
   黒色人種は、やはり、19世紀のヨーロッパ人にとって、奴隷の種族であ
  り、劣等人種でなければならなかった。この「現代神話」なしには、ヨー
  ロッパ列強の支配体制は維持できなかった。シャンポリオンが、古代エジ
  プト人は黒色人であった、とこの時に宣言していたら、歴史は少し変った
  かもしれない。しかし、シャンポリオンは健康も害していたし、いささか
  あせってもいた。そのような宣言をすれば、古代エジプト史の研究は、一
  時頓挫のやむなきにいたったであろう。
  
   そこへ、人類学者のラリイがあらわれた。そして、シャンポリオンは、
  つぎのように書いた。
  
   「ラリイ博士は、エジプト人そのものの、この疑問に関して、風変りな
  探索を行いました。彼は沢山のミイラの皮をはいで、その頭骨を研究し、
  その基本的な特徴を認識した上で、エジプトに住んでいるいろいろな人種
  の中に、それと合致するものを捜し求めました。彼には、アビシニア人が、
  すべての点で結びつき、とりわけ黒色人種(ラス・ネグル)は、比較の対
  象から排除できるように思われました。アビシニア人は、眼が大きく、眼
  差しは好ましいし(アグレアーブル)、……肌色は銅色にすぎません。」
  (同前、p.63)
  
   ラリイが分析したミイラは、明らかに王族のものにちがいない。平民の
  ミイラは、よほどの条件がなければ、みつからないからだ。どの時代のも
  のかも、全く不明だが、すでに王族の混血や、都会化による人種形質の変
  化について指摘をしたので、ここでは再論はしない。
  
   興味深いのは、「好ましい(アグレアーブル)」という表現である。実
  際には、眼球が大きいのが、いわゆるネグロイドの特徴のひとつなのだが、
  ここでは、「眼差し」という、後天的な習慣による印象が、重視されてい
  る。そして、生物学的な人種形質の評価とは全く関係のない、「好ましい
  (アグレアーブル)」という表現がでてくる。これはどういうことなのだ
  ろうか。
  
   わたしは、アグレアーブルの原義が、「賛成できる」(英語のアグリー
  と同語源)であり、「受け入れやすい(アグレアーブル)」の意でもある、
  という点を指摘したい。
  
   古代エジプト人は、アビシニア人と同一視されることによって、ヨーロ
  ッパ系の諸国に「受け入れやすい(アグレアーブル)」印象をあたえられ
  た。アビシニアのキリスト教徒の問題は、すでにのべた。彼らはまた、古
  代のエチオピア人(アィティオプス)の直系にすりかえられた。
  
   以上のような、奇妙な人種分類学への道は、シャンポリオンの、ヒエロ
  グリフ解読の裏面にひらかれた。しかし、シャンポリオンはすぐれた言語
  学者ではあったが、生物学者でも、人類学者でも、本来の意味での歴史学
  者でもなかった。彼の錯誤をとがめず、訂正せず、むしろ、極端なエスカ
  レーションに発展させたのは、専門の人類学者であり、歴史学者であった。
  
   しかし、わたしが採用しているエスカレーションという単語は、ヴェト
  ナム戦争によって、新たな概念を獲得した単語である。それは、つくろい
  きれぬ破綻を、無理押しで解決しようとする戦法であり、さらに決定的な
  破綻へとつきすすむ道である。
  
   では、この場合の決定的は破綻とは、なんであろうか。わたしは、この
  エスカレーションの破綻に確信を持ったとき、また、思いもかけぬ謎が解
  け、秘められた過去への扉が開かれるのを知った。
  
        次回配信は、終章「王国の哲学」
              終章−1「エスカレーション」です。

      ( もうじき終わりだよ〜ん  (^.^)/‾‾‾ )

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■このメールマガジンは、『まぐまぐ!』発行システムを利用しています。
 http://www.mag2.com/
 配信中止 http://www.mag2.com/m/0000117236.htm
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
■制作・発行■ 木村書店・木村愛二 mailto:altmedka@jca.apc.org
(ご案内)   http://www.jca.apc.org/‾altmedka/shoten-afmag.html
(木村書店)  http://www.jca.apc.org/‾altmedka/hanbai.html
(憎まれ愚痴) http://www.jca.apc.org/‾altmedka/index.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

Vol.72へ


メルマガ案内   2008.1.16