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まぐまぐ メールマガジン 週刊『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』
再録版  Vol.64 2004.12.02

[20041202]古代アフリカ・エジプト史への疑惑Vol.64
木村書店Web公開シリーズ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ Vol.64 2004.12.02 ━━
 ■■■『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』■■■
     近代ヨーロッパ系学者による“古代史偽造”に真向から挑戦!
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                      等幅フォントで御覧下さい。
              出典:木村愛二の同名著書(1974年・鷹書房)

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         ┫   第七章:ナイル河谷   ┣
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◆(第7章−4)ファラオの一族 ◆ ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

   古代人の証言を、正しく解釈するならば、クシュとエジプト、もしくは、
  アイティオプスの本拠地と、ナイル河谷の前進基地とは、永らく兄弟のよ
  うな関係を保っていた。エジプト人は、エチオピア人(アイティオプス)
  がファラオの座につくことを、公式に認めていた。そのことをヘロドトス
  は、直接的にではないが、たしかに書きとめている。
  
   ヘロドトスは、エジプトの神官から、歴代のファラオの業績を聞いて、
  くわしい記述をのこしている。その冒頭部分はつぎのようになっている。
  
   「祭司たちは一巻の巻物を開き、それによってミン以後の330人の王の
  名を次々に挙げた。このおびただしい数に上る世代にわたって、18人はエ
  チオピア人で、唯1人だけ生粋のエジプト人の女性がおり、他はすべてエ
  ジプト人の男子である。」(『歴史』、2巻、P.100)
  
   このように、「他はすべてエジプト人の男子である」、と断言されてい
  る。ところが、実際に王名表を研究すると、ヘロドトスがエジプトを訪れ
  る以前にも、沢山の外国人王朝があり、外国人のファラオがいた。ヒクソ
  ス王朝、シリア王朝、リビア王朝などがあった。しかし、エジプトの神殿
  の公式記録は、その事実を否認しているわけだ。つまり、「エチオピア人」
  は別格扱いだが、その他の侵入者による王朝の歴史は認めない。外国人の
  ファラオをいただくことは、国辱と思っている、と解釈する以外にない。
  従来のエジプト史学者は、このヘロドトスの文章に、何らふれていない。
  これ以外の解釈しか成立しないために、放置しているのではないだろうか。
  
   また、従来のエジプト史学者によれば、第25クシュ(エチオピア)王朝
  の5人のファラオ以外には、第13王朝のネヘシィだけしか、クシュ出身と
  されていない。つまり、6人である。ところがヘロドトスは、「18人はエ
  チオピア人」と書いているのだから、差引き12人の、エチオピア人のファ
  ラオが行方不明である。この謎もよくわからない。だが、古代エジプトの
  王朝再建者は、ほとんど上エジプト、つまり、クシュ帝国またはエチオピ
  ア人の本拠地に近い方から出現している。このあたりに、謎を解く鍵があ
  りそうだ。
  
   背景には、強力な長弓隊の軍事力もあったであろう。これはあらゆる証
  拠が示している。しかし、日本の例でいうと、徳川御三家のようなファラ
  オの一族が、エチオピア人の中にいた可能性もある。宗教的に南方が尊ば
  れていたことも、その傍証となるだろう。
  
   さて、ヘロドトスはもうひとつ重要な証言をしている。これを正しく解
  釈するならば、クシュ人またはエチオピア人の弓兵隊が、「奴隷兵」など
  ではありえないことが、はっきりする。ファラオは、弓兵隊の伝統を、誇
  りとしていたのである。
  
   たとえば、第12王朝の対外進出は目ざましいものであった。とくに第5
  代のファラオ、セソトリス3世(前1887〜1850)は、アジア・ヨーロッパ
  に遠征し、史上最大の帝国をうちたてた。ヘロドトスは、このファラオの
  足跡について、こう書いている。
  
   「エジプト王セソトリスが各地に建てた記念柱は、大部分失われて残っ
  ていないが、私はパレスティナ・シリアで現存するものを幾つか見た。…
  …またイオニア方面にも岩壁に浮彫にしたこの人物の像が二つある。……
  その男は右手に槍を、左手には弓をもち、その他の服装もこれに準じてい
  る。というのは、つまり一部はエジプト式、一部はエチオピア式の服装を
  しているという意味である。そしてその胸部には、一方の肩から他方にわ
  たって、エジプトの神聖文字で記した碑銘が刻んであるが、その意味は、
  
   『われはこの地を、わが肩によりて得たり』
  
  というものである。」(『歴史』、2巻、p.106)
  
   この二つの人物像は、ファラオそのものを刻んだものだ。ファラオの
  「左手の弓」と「エチオピア式」の服装は、ファラオがエチオピア(クシ
  ュ)をエジプトと同格に重んじていたことを示す。また、弓兵隊の地位の
  高さをも示している。しかも、第12王朝自体が、エチオピア(クシュ)の
  王族によって開かれた可能性さえ、暗示している。
  
   このような、古代人の「エチオピア」観というものは、旧約聖書の章句
  にも、はっきり刻みこまれている。エチオピア(クシュ)王朝は、当時ア
  ッシリアの支配下にあったオリエント諸国の叛乱に、手をかした。この次
  第が、『イザヤ書』に、つぎのように記されている。
  
   「ああ、エチオピアの川々のかなたなる、ぶんぶんと羽音のする国、こ
  の国は葦の船を水にうかべ、ナイル川によって使者をつかわす。とく走る
  使者よ、行け。川々の分れる国の、たけ高く、膚のなめらかな民、遠近に
  恐れられる民、力強く、戦いに勝つ民へ行け。……力強く、戦いに勝つ民
  から、万軍の主にささげる贈り物を携えて、万軍の主のみ名のある所、シ
  オンの山に来る。」(『イザヤ書』、18章)
  
   これと同様な、エチオピア人の軍勢の来援に関する記憶は、ギリシャ人
  の神話にもとどめられている。すでに紹介したように、『アィティオプス』
  5巻は、『イーリアス』の原型とも考えられている作品である。ここでは、
  「エチオピアの王メムノーンが、ヘーパイストス神の造った鎧を身につけ
  てトロイエー援助にやってくる」(『ホメーロスの英雄叙事詩』、p.37)
  
   ヘーパイストスは、「ギリシャの火と鍛冶の神。……自分の宮殿に仕事
  場をもち、オリュンポスの神々の宮殿はすべて彼の造ったもの」(『ギリ
  シャ・ローマ神話辞典』)、というのだから、これも面白い。エチオピア
  人と、鍛冶の神、つまり金属生産とが結びつけられている、とも解釈でき
  る。
  
   クシュ王朝は、アッシリア勢の侵入に際して、エジプト再統一のために
  立上がった。そして、アッシリアの侵入を再三うちやぶった。わたしはそ
  の背景として、メロエにおける大量の鉄生産を考えるべきだと思う。
  
   ところが、イギリスのアーケルなどは、クシュ王朝が、何度もアッシリ
  ア勢をうちやぶったことを、全く無視している。そして、「アフリカ史の
  曙」の中では、アッシリア人は鉄の武器を持っていたので、「クシュの部
  族民の原始的な武器は、鉄の武器を前にしては何の役にも立たなかった」、
  などと断言している。「部族民の原始的」、という表現もさることながら、
  アーケルのたくましい想像には何の証拠もない。
  
   逆に、クシュ王朝のはじめの勝利こそ、大量の鉄の武器に帰せられるべ
  きである。また、アィティオプスの長弓隊は、「原始的」などころか、騎
  馬武者隊への、おそるべき対抗手段であった。鋭くとがった鉄のヤジリを
  つけた重量のある矢は、うなりを発して、疾駆する騎馬武者をおそったに
  ちがいない。事実、中世ヨーロッパでは、農民兵による長弓隊の編成が重
  要視され、それが小銃隊に移行している。アーケルの説明は、その点でも
  全く意味をなさない。
  
   クシュ王朝期のエジプトが、アッシリアに対抗しきれなかった理由は、
  旧約聖書の章句が語っている。イザヤ書第18章は、すでに紹介したように、
  クシュ(エチオピア)の軍勢の来援をつたえ、第20章は、「エジプトびと
  のとりことエチオピアびとの捕われ人とは、アッスリアの王に引き行かれ
  て」、という敗北の情景を描写している。そして、その中間の第19章は、
  つぎのように、ナイル河谷の天災による凶作を物語っている。
  
   「ナイルの水はつき、川はわれてかわく。またその運河は臭いにおいを
  放ち、エジプトのナイルの支流はややに減ってかわき、葦とよしとは枯れ
  はてる。ナイルのほとり、ナイルの岸には裸の所があり、ナイルのほとり
  にまいた物はことごとく枯れはてる。ナイルのほとり、漁夫は嘆き、すべ
  てナイルにつりをたれる者は悲しみ、網を水のおもてにうつ物はことごと
  く枯れ、散らされて、うせ去る。漁夫は嘆き、すべてナイルにつりをたれ
  る者は悲しみ、網を水のおもてにうつ者は衰える」(『イザヤ書』、19章)
  
   ナイルはかれる。アッシリア勢はせめよせる。まさに内憂外患である。
  アフリカ大陸の悲劇は、このように、乾燥期の襲来をぬきにしては語れな
  い。たとえば、古代エジプトの税金は、ナイルの水の高さによってきめら
  れた。水がへり、沙漠がひろがり、同時に、ファラオの一族たるエチオピ
  ア人の後背地が遠のいていった時に、オリエント勢の侵入は、本格化しは
  じめた。
  
   では、それまでの古代エジプト人は、果して、黒色人の特徴を保ってい
  たであろうか。いよいよ、最初の謎にとりかかる時がきた。果して、どれ
  ほどの証拠を、みつけることができるであろうか。
  
        次回配信は、第7章−5「古代の証言」です。

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