週刊『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』
まぐまぐメールマガジン再録版 Vol.54 2004.09.23

[20040923]古代アフリカ・エジプト史への疑惑Vol.54
木村書店Web公開シリーズ

 ■■■『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』■■■

近代ヨーロッパ系学者による“古代史偽造”に真向から挑戦!

等幅フォントで御覧下さい。
出典:木村愛二の同名著書(1974年・鷹書房)

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  第六章:バントゥの王国

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◆(第6章-6)灌漑農場 ◆

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 アフリカの農業といえば、すぐ焼畑耕作と一口に片づける学者もいるが、これがまた、大変なまちがいである。

 デヴィドソンは、現在、ケニア白人高地とよばれている地帯に、大規模な灌漑農業が行なわれていた事実を、つぎのように指摘している。

 「ハンティンフォーフォによれば、ケニアで廃墟がもっとも数多く、もっとも開発されているのは、まさに現在ヨーロッパ人入植者が居住している高地地方である。この……目のさめるような緑地帯には、さまざまなタイプの石造の居住地に、かつて明らかに多数の人口が住んでいた。……石造の囲壁、住居群、石塚、直線の土塁、灌漑工事……道路、溝、……湿地帯……築堤の上を通る道路……運河、階段状構築……鉱山や鍛冶屋の作業場、石塚や岸壁画など……」(『古代アフリカの発見』、p.187)

 しかも、この遺跡は孤立したものではない、同じケニア高原地帯を少し南に進むと、またも、巨大な廃墟の都市がある。

 「ケニアとタンガニカの国境地帯に……『大きな廃墟の都市』のあることが、1935年タンガニカの地方官吏によって報告された。……リーキー博士……はつぎのように書いた。『……斜面の主要な都市には約6300戸があり、谷間には約500戸の家がある……』。人口は『おそらく3万ないし4万と推定され、この数字でも低すぎるのではないかと思う。』」(同前、p.184)

 デヴィドソンは、この失われた都市の住民数との比較として、「中世のフィレンツェは人口約6万」、という例をあげている。この数字比較はいいとしても、やはり、中世期の遺跡だと断定する根拠は何もない。事実彼は、同時に、「この地域では、完全な考古学的調査らしいものはまだ一度も行なわれていない」、と指摘している。この失われた都市は、エンガルカとよばれており、よく引き合いに出されている。しかし、何の調査もなしに、中世期に位置づけている本があるので、一言、その取扱いに反対の意思表示をしておく。

 わたしは、むしろ、このあたりにこそ、旧約聖書のタルシシのみならず、古代エジプトへのミラルの供給地として、想定されてしかるべきだと思う。それは、つぎの古代道路網の存在によっても、証明されるものではないだろうか。

次回配信は、第6章-7「道路網」です。

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封印『マルコポーロ』の「松本サリン事件」/
「世界シオニスト機構の世界戦略」/「311マドリッド事件の真相」他