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まぐまぐ メールマガジン 週刊『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』
再録版 Vol.52 2004.09.09 |
| [20040909]古代アフリカ・エジプト史への疑惑Vol.52 木村書店Web公開シリーズ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ Vol.52 2004.09.09 ━━ ■■■『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』■■■ 近代ヨーロッパ系学者による“古代史偽造”に真向から挑戦! ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 等幅フォントで御覧下さい。 出典:木村愛二の同名著書(1974年・鷹書房) ●叉∞叉∞叉∞叉∞叉●叉∞叉∞叉∞叉∞叉●叉∞叉∞叉∞叉∞叉● ┏┻┻┻┻┻┻┻┻┻┻┻┻┻┻┻┓ ┫ 第六章:バントゥの王国 ┣ ┗┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┛ ◆(第6章−4)中世の古城 ◆ ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ 大ジンバブウェとして知られる、ローデシアの古城は、最も有名である。 そして、ナイルのみなもとより南方の遺跡としては、年代が確定した唯一 のものだ。ジンバブウェとは、土地の言葉で、石の家の意である。そして、 ローデシアからザンビア、ボツワナにかけてはジンバブウェとよばれる遺 跡が、なんと、300から400ヶ所もある。そして、その中の最大のものだけ が、大ジンバブウェとして紹介され、観光ルートにはいっている。 大ジンバブウェの構成は、相当に複雑だ。まず、120メートルの高さの、 花崗岩の岩山があって、その上に城郭があり、中には、ヤグラがある。山 の下の平地には、楕円型の城壁がめぐらされている。そして、山上の城郭 と、平地の城壁との間には、複雑にいりくんだ石壁がつながっていて、沢 山の石造家屋のあとがある。 この古城は、かつてモノモタパ帝国の名で知られた広大な帝国の、首都 のひとつだった。この帝国には、ローマ帝国から神聖ローマ帝国へのうつ りかわりにも似た、何度かの、主導権の移行がみられるが、その点は省略 する。ともかく、この古城に首都がおかれていたころ、アラブ人やポルト ガル人が訪れた際の、記録ものこっている。 アラブ人やポルトガル人が訪れた、ということは、つまり、中世または 近世の話である。紀元前6000年ごろのルヴェンゾリ大爆発から、いきなり、 中世に話がとんで恐縮だが、この大ジンバブウェに関する、ヨーロッパ系 の学者の姿勢を知っておいてもらうと、ほかの古代遺跡の紹介がしやすい のである。 大ジンバブウェは、長らく廃墟と化していた。そして、1868年に、アメ リカ人の狩猟家の眼にとまった。そのころのアメリカ人やイギリス人は、 アラブ人やポルトガル人が書きのこした記録の存在を、全く知らなかった。 だから、この古城の主たちが、黒色のアフリカ人だったとは露知らず、研 究をしはじめた。 すでに、フェニキア人とタルシシの船隊の話はしたが、旧約聖書はさら に、豊かな金の産地、オフィールの名を記していた。最近になって、フェ ニキア文字で、「オフィルの金」と刻みこまれた大きな瓶も発見されてい るし、実在した国か都市などのよび名にちがいない。 19世紀には、アメリカでも、ゴールド・ラッシュが起きており、謎の金 産国オフィールに対する関心は高かった。だから、大ジンバブウェの発見 は、すぐに、古代のオフィールにむすびつけられた。1891年には、イギリ ス軍がローデシアに攻め入り、大ジンバブウェの周辺を占領した。そして、 指揮官は、つぎのような電報を、本国に送った。 「いまやイギリス人は、オフィールの国に到着し、古代の宝庫をふたた び開かんとしている。われわれは、かつてソロモン王が象牙の玉座を渡金 し、神殿の杉の柱を飾った黄金に、ヴィクトリア女王の姿を刻むことにな るであろう」 簡単にいうと、女王の浮き彫り入りの金貨を、沢山つくれるようになる、 という報告をしたわけだ。まことに現金なエピソードである。しかし、こ の電文は、おそるべき悲劇のプロローグ(序曲)となった。ローデシアの アフリカ人の諸王国は、完膚なきまでに破壊された。ゴールド・ラッシュ が起こり、遺跡はうちくだかれ、考古学的な価値のある遺品も、あらかた 鋳つぶされてしまった。 そこへ登場した学者は、研究に先立って、アフリカ人に巨大な石造建築 がつくれるはずはない、という奇怪な前提条件をきめた。そして、シーニ ーの表現を借りると、「さまざまな新奇な説」を提唱した。ソロモンを訪 れたことで有名なシバの女王と関係づける学者もいた。サバ人、ヘブライ 人、フェニキア人、アラビア人、インド人、アジア人、あらゆる外来起源 説が、つぎからつぎへと出現した。木村重信は、つい最近になっても、ア メリカ人のジョン・ガンサーが『アフリカの内幕』で、アラビア人による 大ジンバブウェ建造を主張しているとして、きびしく批判している。 しかし、1905年に、最初の科学的調査を行なった学者は、すでに、外来 起源を否定し、「バンツー起源で中世のもの」、と断定した。以後、数十 年も論争、再調査がつづいた結果、真相はほぼ判明した。ショナ、ロズウ ィなどのバンツゥ系の民族が、同じ石造建築の技術をつたえていることも 確かめられた。年代決定については、デヴィドゾンがこう書いている。 「1952年(?原資料確認中)にシカゴで、1944年にふたたびロンドンで 行なわれたカーボンテストは、『楕円型建物』の下部から出土した排水用 の木材の二つの破片について行なわれ、その結果、年代は西紀591年(プ ラスまたはマイナス120年)と西紀702年(プラスまたはマイナス92年)の 間ということになった。(『古代アフリカの発見』、P.211〜212) この年代は、高松塚の装飾壁画古墳のそれよりも、少し古い。日本では、 「古代史再発見」ということになっている。しかし、アフリカでは、この 年代は中世である。 ところが、これでもまだ論争はおさまらない。アフリカ人による建造が 確定すると、今度は、年代の引き下げに熱中する、ヨーロッパ系の学者が 出現した。たとえば、木村重信は、つぎのように書いている。 「学者たちのあいだでは、問題の木材がタンブーティという、ひじょう に寿命の長い木であることから、伐り倒されてから相当の期間を経たのち に加工されたか、あるいは今は消滅した、もっと古い建築に用いられた古 材が、のちに排水溝のために再使用されたのではないか、との意見が強い 」(『アフリカ美術探検』、P.132)。 たしかに、部分部分で、何度かの修復、増築の歴史はあるらしい。しか し、話がやたらと細かくなるし、こういう、年代引下げの主張は無視して おく。むしろ、古材の再使用説については、逆の証拠がある。つまり、大 ジンバブウェの石造建築以前に、木造の建物があり、それが焼失したので はないか、とも考えられる。というのは、デヴィドソンによれば、石造建 造物の下に、「『死の層』」とよばれるものがあり、これは未解決のまま 」、である。まさか、焼け跡の灰の中から、「寿命の長い木」を拾いだし た、と主張するわけでもあるまい。 本当の問題は、もっと大きなところにある。というのは、まず、ジンバ ブウェは、大小とりまぜて、300から400ヶ所もある。最初の建造は、小さ な城郭からはじまった、と考える方が自然であろう。つぎに、アフリカ内 陸の気候を考えに入れると、石造の城というのは、戦争のような、物理的 破壊を防ぐためのもので、はるか古代には、土造の方が一般的だったにち がいない。 また、石造技術そのものも、のちに紹介するような、ダムや水道の建造 にはじまっているのではないだろうか。多くの学者は、大ジンバブウェの 石造部分の年代がきまり、しかも、アフリカ人がつくったことがわかって しまうと、突然、それ以前の歴史を考えるのを、中止したかのようである。 だが、わたしは、大ジンバブウェの背景には、壮大な古代史がかくされ ていると考える。それは、以下に紹介するような、謎の古代遺跡が物語っ ているのではないだろうか。 次回配信は、第6章−5「巨大な土塁」です。 ―――― 木村書店の新刊 ―――――――――――――――――――――― 噂の真相を超える徹底硬派の新雑誌・第3号 10月1日発行 ◆ 季刊『真相の深層』 2004・秋◆ http://www.jca.apc.org/‾altmedka/shoten-sinsou.html 「小泉純一郎経歴疑惑の核心を突く」続編!「小泉レイプ事件」報告完全版/ 封印『マルコポーロ』の「松本サリン」/311マドリッド事件の真相他 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■このメールマガジンは、『まぐまぐ!』発行システムを利用しています。 http://www.mag2.com/ 配信中止 http://www.mag2.com/m/0000117236.htm ――――――――――――――――――――――――――――――――――― ■制作・発行■ 木村書店・木村愛二 mailto:altmedka@jca.apc.org (ご案内) http://www.jca.apc.org/‾altmedka/shoten-afmag.html (木村書店) http://www.jca.apc.org/‾altmedka/hanbai.html (憎まれ愚痴) http://www.jca.apc.org/‾altmedka/index.html ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ |
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