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まぐまぐ メールマガジン 週刊『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』
再録版 Vol.50 2004.08.26 |
| [20040826]古代アフリカ・エジプト史への疑惑Vol.50 木村書店Web公開シリーズ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ Vol.50 2004.08.26 ━━ ■■■『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』■■■ 近代ヨーロッパ系学者による“古代史偽造”に真向から挑戦! ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 等幅フォントで御覧下さい。 出典:木村愛二の同名著書(1974年・鷹書房) ●叉∞叉∞叉∞叉∞叉●叉∞叉∞叉∞叉∞叉●叉∞叉∞叉∞叉∞叉● ┏┻┻┻┻┻┻┻┻┻┻┻┻┻┻┻┓ ┫ 第六章:バントゥの王国 ┣ ┗┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┛ ◆(第6章−2)母なるナイル ◆ ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ まずは、地図を見ながら、ナイル河をさかのぼっていただきたい。 http://www.jca.apc.org/‾altmedka/afric-6-nairu.gif 髪髪髪 (夏はやっぱり川遊びッス) _ _ 〜風 ● ● 〜風 (ビール)泡泡 ◇ 〜風 泡 凵 人 舳舳 人人人 舟舟舟 人人人 舟舟舟 舟舟舟舟舟舟舟舟舟舟舟舟舟舟舟舟舟 舟舟舟舟舟舟舟舟舟舟舟舟 ナイル川ナイル川ナイル川ナイル川ナイル川ナイル川ナイル川ナイル川ナイル ワニガイル川カバガイル川ゾウガイル川オニハイナイ川カニハイルカニ? (えんやーっぁとーっとぉ) エジプト史学者のほとんどは、ナイル河中域、アスワンからハルツーム までの、6つの急流を、「瀑布」(カタラクト)として描きだした。そし てこの急流が、文化交流の非常なさまたげになったかのように、主張して きた。 しかし、大型で、吃水の深い遠洋航海船ならいざしらず、古代の葦舟を あやつる人びとにとって、岩場の急流は、何らの障害でもなかった。日光 の鬼怒川下りの平底船の、軽快な航行に似たものであろう。難所では、岸 に上がって、葦舟を肩にかつげばよい。 さらに、近代ヨーロッパの探検家たちは、冒険談の潤色によって、スー ダン南部の湿原地帯を、ひとつの恐るべき魔境に仕立てあげた。これは日 本の関東地方の総面積の二倍にも達する、広大な沼沢地だが、千葉県の水 郷を、大きくしたようなものといえる。サッドという名でよばれているが、 これもアラビア語で、単に浮草の意味でしかない。熱帯性の昆虫類や、ワ ニなどがいるのはたしかだが、土着のアフリカ人にとっては、決して、危 険地帯ではなった。 実際にも、ヨーロッパの探検隊や侵入者が一番恐れたのは、「異教徒」 の襲撃であった。そして、他ならぬ異教徒のアフリカ人は、この湿原に散 在する島々を根拠地とし、牧畜・漁撈・農耕を営み、いくつかの王国を形 成していた。浮草の間を自由自在に走りまわる葦舟は、古代の王国にとっ て、水の都ヴェネチアにおける、ゴンドラのごとき交通機関であったろう。 これらの王国の兵士たちが、近代の奴隷狩り商人や、デヴィッドソンの 表現を借りれば、「すべて植民地侵略のつゆばらいであったヨーロッパ探 検家」の侵入に対抗したのは、当然の行為であった。デヴィッドソンは、 「1884年以前に東部および中部アフリカに入っていた約300名の宣教師の うち、アフリカ人に殺されたのがわかっているのは6名だけであり、この 6名も勝手気ままに殺されたのではなかったようである。……生命への大 きな危険のように見えたものは、ほとんどつねに途方もない誇張であった 」、と書いている。そして、その当時のヨーロッパ諸国での旅行よりも、 内陸アフリカでの旅の方が、はるかに安全だったとさえ断言している。 古代ローマの遠征軍が、このサッドにさえぎられて、引きかえしたこと を、文化交流の障害の論拠とする学者もいる。しかし、古代ローマ軍得意 のファランクス(重装密集歩兵槍隊)戦法や、ガリー船を漕ぎよせる海戦 方式が、この地帯では全く通用しなくなることも、考えにいれなくてはな るまい。果てしなくひろがるサッドの存在は、遠征隊の指揮官にとって、 都に引き返すための、絶好の口実になったであろう。彼らより5世紀も前 の、ペルシャの遠征軍は、この手前の沙漠地帯で、糧食がつきて、撤退し ている。それよりは前進した、という理由で満足したのかもしれない。 さらに、サッドを越えて上流に向かうと、若干の急流はあるが、小舟艇 の航行にはさしつかえない、アルバート湖から、本流のヴィクトリア・ナ イルへ向えば、たしかに、マーチンソン滝がある。これがはじめての、本 当の滝である。だが、ナイルのみなもとは、もうひとつある。アルバート 湖から、ザイール(コンゴ)領内を通って、エドワード湖に通ずるセムリ キ川の流れは、非常にゆるやかである。 セキリム川について、地理学者の小堀巌は、つぎのように描写している。 「この川は240キロメートルにわたってコンゴを通り、ゆるい水流とな り、コンゴ、ウガンダの自然の国境となって東方向にすすみ、最期にはア ルバート湖にはいる。水流は短いが、セキリム川の流域はたいへん色彩に とんでおり、アフリカにすんでいるすべての草原性の獣類――象、サイ、 ライオン、カバ、カモシカなど――がすんでおり、また沼沢性の川岸には ほとんどすべての種類の水鳥がたわむれている。」(『ナイル河の文化』、 p.36) セキリム川の水源に当るエドワード湖は、魚類に富み、漁業はいまも、 ウガンダ西部の重要産業にひとつである。湖のまわりには、間歇泉、火口 湖群があり、観光・保養地ともなっている。 さて、セキリム川の東側には、月の山として古代から知られた、ルヴェ ンゾリ山がある。この山塊は、「地上で最も湿っぽい場所の一つで、年間 360日は雨が降り、降雨量は5000ミリメートルに達する」(同前、P.32)。 ところが、今では頂上に雪をいただいた、この神秘な山塊が、かつては 活火山で、紀元前6000年頃に、大爆発を起し、巨大なセキリム湖を埋めた てて、細い川にしてしまった、という意外な事実が明らかになった。しか も、その溶岩と火山灰の下には、何万年、何十万年となくつづいてきた、 人類文化・文明の歴史が、ひっそりと埋れていた。 もちろん、イタリア半島のヴェスヴィウス火山の爆発によって埋められ た、ポンペイー市のような状景が現われるはずはない。時代も違うし、と くに、風土が違う。アフリカでは、沙漠的気候(エジプトも含む)のとこ ろをのぞけば、土壁の木造の建物の方が、住む人の健康にも良い。つまり 雨季には湿度があがる。この点は、梅雨季のある日本と同じだ。日本の建 物が、しっくいぬりの壁、つまり土壁と、木や紙でつくられてきたのには、 それなりの理由がある。 このへんの事情が、ヨーロッパ系の学者には、よく分らないらしく、ア フリカで石造建築が発見されると大騒ぎするが、土造りの村落は軽視して いる。しかし、初期の人類文明は、うたがいもなく、最も気候のいい、ア フリカ大陸の高原地帯に花咲いたのである。 では、ルヴェンゾリの火山灰の下からは、どんなものがでてきたのだろ うか。それは、どういう歴史を物語っているのだろうか。 次回配信は、第6章−3「ルヴェンゾリ大爆発」です。 ―――― 木村書店の新刊 ―――――――――――――――――――――― 噂の真相を超える徹底硬派の新雑誌・第2号 7月1日発行 ◆ 季刊『真相の深層』 2004・夏◆ http://www.jca.apc.org/‾altmedka/shoten-sinsou.html 「拉致と核と餓死の国・北朝鮮」の背後に潜む知られざる恐怖の国際利権 他 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■このメールマガジンは、『まぐまぐ!』発行システムを利用しています。 http://www.mag2.com/ 配信中止 http://www.mag2.com/m/0000117236.htm ――――――――――――――――――――――――――――――――――― ■制作・発行■ 木村書店・木村愛二 mailto:altmedka@jca.apc.org (ご案内) http://www.jca.apc.org/‾altmedka/shoten-afmag.html (木村書店) http://www.jca.apc.org/‾altmedka/hanbai.html (憎まれ愚痴) http://www.jca.apc.org/‾altmedka/index.html ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ |
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