週刊『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』
まぐまぐメールマガジン再録版 Vol.47 2004.08.05

[20040805]古代アフリカ・エジプト史への疑惑Vol.47
木村書店Web公開シリーズ

 ■■■『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』■■■

近代ヨーロッパ系学者による“古代史偽造”に真向から挑戦!

等幅フォントで御覧下さい。
出典:木村愛二の同名著書(1974年・鷹書房)

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  第五章:巨石文化の影

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◆(第5章-7)黒色の巨人神[タイタン]◆

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 ホメーロスの作とされる『イーリアス』の中には、つぎのような章句がある。

 「ゼウスさまは、ちょうど昨日、オーケアノスへ、立派なアイティオプスたちのところへお出かけになって、神様がたもみな、それについておいででした」(『イーリアス』、1巻、p.422~423)

 もちろんこれだけでは、全くなんのことかよくわからない。ゼウスは、ギリシャの主神である。だが、オーケアノスとか、アイティオプスになると、訳注をみただけではよくわからない。わたしはこの章句の重要性を、ディオプの引用で知ったのだが、ここでは、わたしなりの解釈をしておきたい。

 最初に概略をのべると、オーケアノスは、ナイルのみなもとの大湖水であり、アイティオプス(エチオピア人)は、現在の巨人、ワッシ民族などに結びつけうる黒色人である。

 ギリシャ人は、ともかく、オーケアノスを神聖な場所と考えていた。また、エチオピア人を、非常に敬まっていた。訳注にも、巨人神の一族の黒色人としてある。だが、この二つの単語の意味は、このさき、決定的な重要性をおびてくるので、もっと正確にたしかめておきたい。

 まず、オーケアノスとはなんだろうか。

 面白いことに、ギリシャ神話の世界は、アフリカ大陸を中心にしている。そこでは、陸地はひとつしかなく、その中心をナイル河が流れている。この考え方を持っていること自体、ギリシャ文化の主流となる人々が、アフリカ大陸からの移住者であったことを物語っている。

 さて、陸地のまわりには、オーケアノス(英語のオーシャン)とよばれる大洋があった。そして、ナイル河は、むこう側の大洋から、こちら側の大洋に流れてくる。つまり、地中海に注いでくると説明されていた。では、むこう側の大洋とはなんだろうか。

 ヨーロッパ系の学者は、ここにくると、突然、沈黙してしまう。のちにのべるように、ナイル河の水系は、古代エジプト人によって非常によく利用されていたし、くわしく知られてもいた。ところが、従来のエジプト史学者は、いろいろな理由で、古代エジプト人が、ナイル河の上流地帯と交流をしなかったと主張してきた。この奇妙な前提が立てられているために、むこう側のオーケアノスは、これまで、単なる神話的空想として片づけられてきた。

 しかし、ナイル河の水源湖は、大海原としか考えられないような巨大な湖だ。古代人はこの事実を知っていた。だから、ナイル河は、むこうの大洋からこちらの大洋に流れてくると説明した。これはまことに自然の成行で、空想でもなんでもない。当時には、これ以外の説明方法がなかった。ギリシャの神々は、何度も、むこうのオーケアノスにいく。つまり、ギリシャ人は、ナイル河水源湖を、ひとつの聖所と考えていた。

 つぎに、アイティオプス(エチオピア人)だが、この用語の使用法が、近代になって、まるっきり変ってしまったので、相当な混乱が生じている。また、わざと混乱させているとしか思えない場合さえある。古代のエチオピア人は、むしろ、現在のエチオピア帝国とは、全く関係がない。

 たとえば、2世紀のギリシャ人で、天文学者として名高いプトレマイオスは、現存のものでは世界最古の以下に一部を紹介する世界地図(原本では190頁に世界全体の地図掲載)をつくった。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/afric-o-1.gif
プトレマイオス地図:
(その1)アフリカの内陸(ETHIOPIA INTERIOR)

http://www.jca.apc.org/~altmedka/afric-o-2.gif
プトレマイオス地図:
(その2)ナイル河口から水源湖までの流域

 その上の方の地図でエチオピアと書かれているのは、まさにアフリカ大陸の中心部である。このプトレマイオスの地図は、いわゆる地理的発見の時代まで、ヨーロッパ諸国では、世界の地理に関する堆一の知識源だった。だから、つい最近までのヨーロッパ人は、アフリカの南方の黒色の住民を、エチオピアンとか、ブラッカムーア(黒いムーア人。ムーア人とは、イベリア半島を征服したサラセン帝国の住民)とよんでいた。ニグロというよび名は、ポルトガルの奴隷商人たちが使いはじめたものにすぎない。

 では、なぜ現在のエチオピアが、この国名を採用したかというと、これにも、アフリカの歴史を考える上で、またその研究史の誤りを指摘する上で、象徴的な事実がかくされている。

 現在のエチオピアは、つい最近まで、アビシニアとよばれてきた(以下、混乱をさけるために、アビシニアとよぶ)。ところが、アビシニアには、さきにも紹介したように、キリスト単性説という教派が生き残っていた。ローマ帝国期には、この教派は異端として、ローマ法王から破門され、迫害されたのだが、中世期のヨーロッパでは、別の評価が生れてきた。

 中世には回教圏がひろがり、キリスト教圏はせまくなった。そこで、いつかきっと、エチオピアのキリスト教徒の王が、回教徒をうちやぶって、ヨーロッパを救ってくれるという伝説がうまれた。エチオピア人は、のちにも紹介するが、ギリシャ神話にも、聖書にも、何度もでてくるし、大変に強い人々だと考えられていた。つまり、ヨーロッパ人は、エチオピア人を尊敬していた。

 ところが、奴隷貿易がはじまって、ニグロというよび名が使われだし、また、アビシニアにしかキリスト教徒がいなかったことがわかると、今度は、アビシニアだけがエチオピアとよばれるようになってしまった。尊敬すべきエチオピア人を、奴隷にするわけにもいかなかったのであろう。そして、ローマ法王は、異教徒なら奴隷にしてもよいという教書をだした。

次回配信は、第5章-8「王国の戦士たち」です。

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