週刊『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』
まぐまぐメールマガジン再録版 Vol.46 2004.07.29

[20040729]古代アフリカ・エジプト史への疑惑Vol.46
木村書店Web公開シリーズ

 ■■■『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』■■■

近代ヨーロッパ系学者による“古代史偽造”に真向から挑戦!

等幅フォントで御覧下さい。
出典:木村愛二の同名著書(1974年・鷹書房)

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  第五章:巨石文化の影

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◆(第5章-6)曲毛の人々 ◆

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 さらに重要で、なかなか消えにくい人種的特徴は、髪の毛にある。

 巻毛、波毛について、ヨーロッパで独自に発生したものだという説をとなえた学者もいるらしいが、この説には何の証拠もない。クーンも、このような説の存在を記しているのみで、全くとりあっていない。とくにブロンド、灰色ブロンド地帯では、細い直毛が圧倒的多数である。

 クーンはまず、「曲毛の大中心はアフリカとメラネシアである」、という当然の事実を確認する。そして、ヨーロッパでは、「南アイルランド人、ウェールズ人、一部ノルウェー人、フィンランド人、それにバヴァリア人、およびその隣接山岳地帯のアルプス人」などに、この曲毛の特徴がみられることを指摘する。

 さらに広大な曲毛地帯は、南ヨーロッパである。古代文明が栄えたバルカン半島、イタリア半島、イベリア半島には、現在も、曲毛、そして縮れ毛に近い巻き毛の人々が、沢山住んでいる。ロ-マ帝国末期の、大量のゲルマン系、スラブ系諸民族の移住を計算にいれると、古代の南ヨーロッパ人は、ほとんど曲毛だったと推定できる。肌色も、相当に濃い褐色だったにちがいない。わたしはこれを、アフリカ系の人々、と考える。

 もちろん、あれはギリシャ・ローマ時代にアフリカからきた奴隷の血がまじったもの、という説明をする学者もいるだろう。しかし、そのことは、のちにものべるので、ここでは単に否定しておく。

 さて、クーンは、ヨーロッパ大陸への曲毛形質の侵入を、ジブラルタル海峡を通じて入ってきたものと、イラン高原からきた人々の中の「少数のネグロイド形質」によって説明している。わたしは、そういう人々が意外に多かったのではなかろうかと考えているのだが、ともかく、そういう人々がいた。彼らはどこから来たのだろうか。

 わたしの考えでは、この種の人々は、農耕・牧畜文化とともに、アフリカ大陸からやってきた。だが、それだけではない。さらに、いわゆるコーカソイド(白色人系)とされてきた骨格的な形質も、アフリカ大陸の真只中に出発点をもっていた。

 すでにコルヌヴァンは、ケニアとタンガニーカで発見された紀元前約2000年のいくつかの人骨の研究にもとづいて、この型の人種はアフリカ大陸に古くから居住していたと主張している。その中には、現存の人種の例として、あの興味深い巨人、ワッシ民族も含まれている。

 コルヌヴァンはこう書いている。

 「このタイプは、アフリカにおいて相当有力な分布を示し、新石器時代の湿潤期から居住していたと見受けられる。だから、彼らがアフリカ大陸以外の他の場所から来たと主張することは、……アフリカの住民を外来の起源であると確言する理論が、つい最近まで支持されてきたものの……不可能と思われる」(『アフリカの歴史』)

 コルヌヴァンは、このタイプをいわゆるコーカソイド型の骨格形質という現存の人種群への「最後の鎖」、つまり、祖型とみなしている。わたしは、さらに論を進めて、このタイプの人々が、家畜の群れをひきいて、相当大量にオリエント方面にも進出したと考える。クーンが「淡褐色の肌、褐色の眼」の人々としたイラン高原の農耕・牧畜民の主流は、このアフリカ大陸からきた人々だったと考える。牧畜起源地の設定が変った以上、これは当然の推論であろう。

 では、以上のようなアフリカ人の対外進出は、ヨーロッパ大陸の民族に、どのような痕跡をのこしているだろうか。ギリシャ神話をみてみよう。

次回配信は、第5章-7「黒色の巨人神[タイタン]」です。

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