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まぐまぐ メールマガジン 週刊『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』
再録版  Vol.4  2003.10.09

[20031009]古代アフリカ・エジプト史への疑惑Vol.4
木村書店Web公開シリーズ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ Vol.4 2003.10.09 ━━
 ■■■『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』■■■
     近代ヨーロッパ系学者による“古代史偽造”に真向から挑戦!
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                      等幅フォントで御覧下さい。
              出典:木村愛二の同名著書(1974年・鷹書房)


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          ┫  序章:疑惑の旅立ち  ┣
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◆(序章−4)ネヘシの黒い霧◆ ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

   オリエントとは反対の側、つまり、エジプトの南方、現在のスーダンに
  は、クシュ帝国があった。この国は、いろいろなニュアンスがあるにして
  も、あらゆる学者によって、黒色人の帝国として認められている。歴史の
  細部はのちに考えるが、この帝国は、エジプトから現在のウガンダにいた
  る領土を支配し、古代エジプト第25王朝(前751-656)をも開いた。
  
   しかし、それより1000年以上も前から、クシュ帝国とエジプト帝国との
  国境地帯、フィラエ(ヘー)には、城砦がきずかれ、石碑が建てられてい
  た。この石碑はドイツ人学者に発見され、ベルリンにもち帰られた。
  
   人類学者の寺田和夫は、その碑文の内容解釈も含めて、つぎのように書
  いている。
  
   「最古の黒人に対する差別の例としてエジプトのセソトリス3世(前
  1818-1849)の命令でつくられた、第2爆布近くの石碑があげられることが
  ある。
  
   『南の国境。上下エジプトの王たるセソトリス3世――生命の永らえん
  ことを――の御世8年にこれを建てる。輸入のためか、または交易所で物
  を購入する目的のある場合を除き、黒人が水路・陸路を舟をもって、ある
  いは家畜を連れてこの国境を越えてはならない。前記の目的で越境する黒
  人は歓迎されるが、ヘーの地点より下流に舟で進むことは永久に禁止する
  』」(『人種とは何か』、p.146-148)
  
   文中、「黒人」にあたる古代エジプト語は、ネヘシであるという。ほと
  んどの学者は、これを黒人とか、黒色人とか訳している。フランス人のコ
  ルヌヴァソも、「ネグル」(ニグロ)としている。
  
   ところが、セネガル人のディオプは、この訳語は間違いであるだけでは
  なく、曲解だとし、きびしい批判をしている。その理由は、1955年出版の
  『黒色人国家と文化』(p.306-309)でも、くわしくのべられている。だが
  ここでは、それよりも論旨明解で、ヒエログリフまで描出してある、1967
  年出版の『黒色人文明の先行性』の方から、訳出しておきたい。ディオプ
  は、アフリカの諸言語(セム系諸語も含む)では、ケム、カム、ハムなど
  が、「黒い」という語根をなすことをくわしく説明し、つぎのようにいう。
  
   「古代エジプト語では、ケムが黒の意味を持っていた。……特筆すべき
  ことには、エジプト人は彼ら以外の黒色人《ディオプは古代エジプト黒色
  人説》を区別するために、皮膚の色を指し示すような人種用語を使ったこ
  とはない。……エジプト人は、《クシュ人のことを》、彼らの家族の末席
  につらなるものとみなしており、つぎのように呼んだ。クシュの性悪息子
  たち、クシュの横着息子たち、やくざものたち、である。彼らを指示する
  民族名は、ネヘス、ネヘシィ(複数)であった。注目すべきことには、こ
  の言葉はウォロフ語にも存在しており、古代エジプト語の俗化した意味を
  保っている。すなわち、ウォロフ語では、ナハス=やくざもの、三下奴、
  ナハス・イ=やくざものたち(複数)である。
  
   《ネヘス》を、黒人[ネグル]と訳した人々は、意図的に(なぜなら、
  彼らはそういうことを知っていたのだから)、不当な曲解を行ったのであ
  る。これは、色彩を表現する用語ではないのだ」(『黒色人文明の先行性
  』、p.54-56)
  
   ヒエログリフの描出は省いた。専門家にしかわからない問題であろう。
  しかし、さいわいなことに、エジプト史学者の鈴木八司は、つぎのように
  書いていた。重複するので、碑文の訳出個所は省くが、彼は、ネヘシに
  「南方人」という訳語を当てている。
  
   「エジプト人はこれらクシュより南方の住民を総称して『ネヘシ』と呼
  んだ。従って、このネヘシという言葉を『黒人[ニグロ]』と訳すことは
  必ずしも妥当ではない」(『ナイルに沈む歴史』、p.170)
  
   ネヘシの語源は、いずれ明らかにされるであろう。ディオプの本では、
  大変な数の古代エジプト語とウォロフ語の比較が行なわれている。単語だ
  けではなく、文法構造の共通性も指摘されている。そして、何人かのヨー
  ロッパ系学者の発言は、ディオプの言語学上の主張の正しさを、「間接的」
  に認めている。なぜ「間接的」かといえば、彼らは決して、「アフリカの
  黒色人学者ディオプ氏の説にしたがえば、……」という姿勢は示さないか
  らである。
  
   ヨーロッパ系学者のこのような姿勢の背景にはもちろん、長期にわたる
  人種差別の歴史がある。その上に、ディオプの本も、ヨーロッパ系学者へ
  の大変痛烈な批判に満ちており、またまた新しい拒絶反応をつくりだして
  いるかのようである。
  
   それはともかく、以上のことから考えると、ネヘシはおそらく、古代エ
  ジプト人の「中華思想」にもとづく、「南蛮人」というほどの意味である。
  絶対に、肌色を示す人種用語ではないだろう。
  
   問題は、「黒人[ニグロ]」と訳しつづけたヨーロッパ系学者の意図に
  ある。最初の訳出者がなにを考えたかは問題ではない。それは結果として、
  つぎの三段論法をみちびきだしたといえる。
  
   1.スーダンは「黒人[ニグロ]」の領域である。
   2.隣人を「黒人[ニグロ]」とよんだ古代エジプト人自身は「黒人
     [ニグロ]」ではない。彼らは自分たちを、「黒人[ニグロ]」か
     ら区別していた。
   3.エジプト人は「白人[コーカソイド]」(ハム系とされてきた)で
     ある。
  
   この誤解、またはディオプによれば曲解と、つぎに示す、古代エジプト
  の国名、ケメト(ケメット)の解釈とは、まさに表裏一体の関係にあるよ
  うだ。
  

      次回配信は、序章−5「ケメトの住民」です。
         (*^.^*)  (*^。^*) (*^o^*)

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