週刊『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』
まぐまぐメールマガジン再録版 Vol.38 2004.06.03

[20040603]古代アフリカ・エジプト史への疑惑Vol.38
木村書店Web公開シリーズ

 ■■■『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』■■■

近代ヨーロッパ系学者による“古代史偽造”に真向から挑戦!

等幅フォントで御覧下さい。
出典:木村愛二の同名著書(1974年・鷹書房)

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 第四章:鉄鍛冶師のカースト

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◆(第4章-7)鉱山遺跡跡 ◆

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 ここでまず指摘しておかなければならないのは、アフリカ人や、アフロ・アメリカ人の学者が、鉄の起源の問題を非常に重視していることである。

 アフリカ人は、さきにのべたように、鍛冶師をカーストの最上位に置いていた。彼らの神話はすべて、神から直接に金属を与えられたということを語っている。独自の技術に誇りをもってもいた[次の写真は、この章の扉絵と同じで、アフリカの土製の高炉(『黒色人文化の先行性』より)]。

なんだろなー、なんだろなー
http://www.jca.apc.org/~altmedka/afric-c-4.jpg

 神話そのものを比較してみても、大変に興味深い現象がみられる。ヒッタイトの神話は知るよしもないが、ギリシャ神話では、ブロメテウスが火を盗んだ。ところが、バトワ民族の神話は、鉄の秘法を盗まれたと語っていた。また、ギリシャ神話の英雄たちは、ヘーパイストスという天上の神にたのんで、武具をつくってもらうことになっている。そして、ヘロドトスは、へ-パイストスを、エジプトの太陽神ラーと同一視している。一方、トルコ・モンゴル系の神話では、彼らが最初から鍛冶師だったという記憶しかのこっていない。

 つまり、自分たちが「鉄の秘法」を知っていたと、はっきり語り伝えているのは、上記の内では、アフリカのバトワ民族だけなのである。しかも、ギリシャ神話の暗示するものも、ヘロドトスの『歴史』も、すべてアフリカを強く意識している。

 では、神話の裏づけは、どこに隠されているのだろうか。たとえば、アフロ・アメリカ人の歴史学者、ウッドソソは、1947年に出版された『われわれの歴史における黒色人』の中で、つぎのように主張している。「大陸の中心部に近いアフリカ人は、この貴重な金属の効用を最初に知った人たちである」(『黒人の歴史』、p.6、再引用)

 ただし、この引用文だけでは、ウッドソンの論拠は分らない。また、原著は入手できなかった。だが、ほかの事情からして、わたしは、ウッドソンが、つぎに紹介するドイツ人、ルーシャンの説を採用したものと判断する。

 ルーシャンは、アフリカ大陸の各地をまわった。彼は、鉄の製法を調べた。おそらく、ベックの学説も知っていたにちがいない。そして、アフリカの製鉄法が、もっとも祖型に近いものと考えたようである。羊の皮製のフイゴなどにも注目している。

 そして、ソ連のコスヴェンが、このルーシャンの説と、新しい発見とを結びつけて、つぎのように書いている。

 「1902年にドイツの学者フェリクス・ルーシャン……(1854~1924)……が、鉄の溶解と熱処理の最初の発明者はネグロで、他の民族はこの技術を彼らから学んだのであり、したがって鉄の冶金術はアフリカから西ヨーロッパに伝ったのだと確信をもって述べた。……これにかんして注目される考古学の記念物は、北ローデシアのムンブア洞窟で、そこでは新石器時代の用具とともに鉄の溶炉趾と鉄鏃が発見された。この記念物は、きわめて疑問が多いが、紀元前2000年紀と年代づけられている」(『原始文化史概説』、p.198~199)

 ほかにも、やはりソ連のペシキンが『鉄の誕生』の中で、同じようなことを書いている。彼の表現は、より確定的であり、アフリカ大陸で、「何回も発掘が行われた結果、紀元前2000年にアフリカでは鉄の熱間加工がひろく普及していたことが確認ざれた」、となっている。

 残念ながら、ペシキンの記述には、遺跡の名称、場所が記されていない。また、コスヴェンのそれは、「きわめて疑問が多い」ともなっている。しかし、ソ連では、こういう見解が有力なのであろう。

 また、すでにベックが、1880年代に、西アフリカの「古い土着の製鉄業」にも注意を向けていた。そして、現在のスーダン西部の民族が「大昔からの鉄鍛冶として有名」だったとしており、「非常に進んでいた」と評価している。

 ここでも不思議なのは、古い型の技術をつたえている民族が、なぜほかの学者によっても、最古参に想定され、その作業仮説にもとづいて研究されなかったのか、ということである。ドイツや、やはりドイツの技術をとりいれたロシア、またはソ連からはこの発想がでているのに、イギリスやフランス系の学者は、まったくこの点を無視している。これでは、鉄製品の出土がむずかしい、という条件の上にあぐらをかいて、最後までアフリカ文化の評価をおくらせようとしている、といわれても仕方あるまい。事実、セネガル人のディオプは、こういう歴史学者(彼の場合はフランスの学界が相手)の態度に、強い不満を表明している。

 だが、いずれ、決定的な調査結果もでるにちがいない。というのは、デヴィドソンによれば、ローデシア周辺だけでも、古い鉱山の遺跡は、「おそらく6万ないし7万に達する」。アフリカ大陸全体では、数十万ケ所といってよいだろう。

 コルヌヴァンは、1967年までの新しい調査結果を列挙している。それによると、わずか6地点だけで、紀元前400年から紀元後400年の数字がでている。

 この数字はまだ、紀元前後のものでしかない。しかし、古い時代のものになればなるほど、遺跡の絶対数はすくないに決まっている。年代の確定したものは、それゆえ、ビラミッドにたとえれば、途中の階段にすぎない。数十万にものぼる鉱山遺跡の中で、わずか数地点の調査だけでも、これだけ古い年代が示されたと評価したい。

 また、統計学的に評価すれば、紀元前後には、大量の鉄生産が行なわれていた、と推定できる。

 なお、アフリカの鉄器文化については、別系統に独自の発生をみたとする説もある。しかし、わたしはすでに農耕の章でもふれたように、安易な多元説には反対である。アフリカ大陸は、そんなに孤立したところではなかった。

 さて、もうひとつ、ナイジェリア南部にも、鉄器文化をめぐる謎がある。

次回配信は、第4章-8「テラコッタの証言」です。

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