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まぐまぐ メールマガジン 週刊『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』
再録版 Vol.28 2004.03.25 |
| [20040325]古代アフリカ・エジプト史への疑惑Vol.28 木村書店Web公開シリーズ ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ Vol.28 2004.03.25 ━━ ■■■『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』■■■ 近代ヨーロッパ系学者による“古代史偽造”に真向から挑戦! ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 等幅フォントで御覧下さい。 出典:木村愛二の同名著書(1974年・鷹書房) ●叉∞叉∞叉∞叉∞叉●叉∞叉∞叉∞叉∞叉●叉∞叉∞叉∞叉∞叉● ┏┻┻┻┻┻┻┻┻┻┻┻┻┻┻┻┓ ┫ 第三章:さまよえる聖獣 ┣ ┗┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┛ ◆(第3章−5)騎馬帝国 ◆ ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ ウマの話には、まず、アフリカの騎馬帝国の盛衰史を知っておいていた だくと、イメージ・アップがしやすい。アフリカの中世帝国について書い た本は何冊かあるので、興味のある方はぜひ直接当っていただきたい。こ こでは、簡単な紹介にとどめる。 なぜ中世帝国の話になるかというと、ウマとか騎馬民族とかについては、 モンゴルその他の内陸ユーラシア帝国の印象が、強烈すぎるほど、わたし たち日本人の脳裏にやきつけられているからである。しかし、アフリカに も強力な騎馬隊を待つ中世帝国がたくさんあった。サラセン帝国も、もち ろん、アフリカに根拠地を置いていたのだが、そのほかにも無数にあった。 日本でいえば、秀吉の小田原城攻めの前年に当る1589年、モロッコ軍が 現在のマリを中心に栄えていたガオ帝国に侵入した。それを迎え撃ったガ オ軍について、イギリス人のマーガレット・シーニ−は、「騎兵1万8000、 歩兵9000名の軍勢」(『古代アフリカ王国』、p.87)、と書いている。し かし、これに対するモロッコ軍は、4000挺の鉄砲をもっていた。ガオ帝国 軍は敗れ、以来、西アフリカ諸国は乱世に突入した。 これより少し前、1505年に、西アフリカ経由でインドまでの航海をした ポルトガル人は、現在のセネガルに勢威を振っていたジョロフ王国につい て、こう書いた。 「ジョロフの王は1万の騎兵と10万の歩兵を戦野に送る力あり」(『ア フリカの過去」、p.160) 以上、イメージ・アップのために、騎兵の数字があげられているものだ けを引用した。しかし、この他にも沢山の記録がある。それらによれば、 騎馬武者たちは、銅製のカブトをかぶり、鉄の鎖カタビラ、木綿の刺し子 のヨロイを着用していた。当時の西アフリカは、商工業の中心地であり、 サラセン帝国にむけて、染色された木綿布や金属製品を輸出していた。そ して、現在も各地に、はなやかな色どりの装束を身につけ、長剣をたばさ み、馬にのって住来する貴族の末裔が残っている。 これらの騎馬武者たちは、一体いつから現われたのであろうか。まず2 世紀初頭のガーナ帝国(現在のガーナではなく、モーリタニアからマリの あたりを中心にしていた)には、アラブ人の記録によれば、20万人の戦士 がおり、そのうち4万人以上が弓隊であった。騎兵の数は不明だが、皇帝 が謁見する大天幕のまわりには、金の布で装った馬が立ち並んでいたと記 されている。ガーナ帝国の起源は、3世紀ごろとされており、日本の大和 朝廷のはじまりよりも古い。そして、つぎの証拠からして、最初から騎兵、 もしくはウマに引かせる二輪戦車隊の編成があったにちがいない。これま た、サハラ先史美術の証言である。 サハラには、無数のウマの絵があった。疾駆するウマ、ウマに引かれる 二輪戦車、戦車を駆る男たち。しかも、それらの絵の分布地点をつないで みると、見事なサハラ縦断ルートがあぶりだされてきた。このルートは、 現在のマリ、かつてのガーナ帝国の故地からサハラの中心に至り、そこか ら二手にわかれてアフリカ大陸の北海岸に達していた。 紀元前5世紀、ヘロドトスは、このサハラ縦断ルートの中心付近に首都 をおくガラマント王国の存在を記録にとどめた。ガラマント王国には、ヒ ツジが沢山おり、ナツメヤシが栽培されていた。そのころのサハラは、ま だ完全には乾き切っていなかった。そして、ガラマント王国の戦士は、二 輪戦車を駆使していた。彼らは、カルタゴと同盟を結び、ハンニバルとと もにイベリア半島にわたり、ピレネーをこえ、アルプスをこえてイタリア 半島を南下し、ローマへと進撃した。 では、ガラマント人が、サハラでウマを飼いならしたのだろうか。彼ら は、6000頭もの家畜ウシを描いた牧人の後裔であろうか。 しかし、その証拠は全くない。家畜ウマの絵は、突加として現われてい るかのようである。ある学者は、この絵に、紀元前1500年頃という年代を あたえている。だが、これも推定でしかない。牧人の絵にはウマは登場し ておらず、全く、つながりが断たれている。では、サハラに野生ウマはい なかったかというと、やはりこれもいた。狩猟動物を描いた中に、「種類 不詳の馬」(『タッシリ遺跡』、p.233)があった。狩猟民の絵だから、当 然、野生ウマである。現存のウマとのつながりがよくわからないにしても、 野生のウマはたしかに、サハラにいた。その上、現在のモーリタニア、つ まり、かつてのガーナ帝国の故地の周辺から、新しい証拠もでてきた。 川田順造によれば、「モーリタニア馬という名で学者がひとまとめにし ている、体形のかなりまちまちな一群の馬がいて、やがて絶滅したらしい」 (『マグリブ紀行』、p.79)。 どうして体形が「まちまち」だったのだろうか。いろいろな種類の野生 ウマがいたのだろうか。それとも、家畜ウマの品種改良の歴史を、暗示し ているのだろうか。 次回配信は、第3章−6「神話の崩壊」です。 ―――― 木村書店の新刊 ―――――――――――――――――――――― ◆季刊『真相の深層』◆徹底硬派雑誌定期購読者募集中 http://www.jca.apc.org/‾altmedka/shoten-sinsou.html ◆【イラク情勢理解 必読の名著】改訂新版『湾岸報道に偽りあり』 http://www.jca.apc.org/‾altmedka/hanbai.html#gulf ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ■このメールマガジンは、『まぐまぐ!』発行システムを利用しています。 http://www.mag2.com/ 配信中止 http://www.mag2.com/m/0000117236.htm ――――――――――――――――――――――――――――――――――― ■制作・発行■ 木村書店・木村愛二 mailto:altmedka@jca.apc.org (ご案内) http://www.jca.apc.org/‾altmedka/shoten-afmag.html (木村書店) http://www.jca.apc.org/‾altmedka/hanbai.html (憎まれ愚痴) http://www.jca.apc.org/‾altmedka/index.html ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ |
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