憎まれ愚痴入口木村書店戻る┃  メルマガ1の目次項目別案内

まぐまぐ メールマガジン 週刊『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』
再録版  Vol.14  2003.12.18

[20031218]古代アフリカ・エジプト史への疑惑Vol.14
木村書店Web公開シリーズ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ Vol.14 2003.12.18 ━━
 ■■■『古代アフリカ・エジプト史への疑惑』■■■
     近代ヨーロッパ系学者による“古代史偽造”に真向から挑戦!
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
                      等幅フォントで御覧下さい。
              出典:木村愛二の同名著書(1974年・鷹書房)

  ●叉∞叉∞叉∞叉∞叉●叉∞叉∞叉∞叉∞叉●叉∞叉∞叉∞叉∞叉●

         ┏┻┻┻┻┻┻┻┻┻┻┻┻┻┻┻┓
         ┫  第二章:ヤムのふるさと  ┣
         ┗┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┳┛

◆(第2章−4)アフリカ稲 ◆ ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞

   サハラに野生している植物は、もちろん、テフだけではない。すでに紹
  介したトリティクム・ドゥルム(かたいコムギ)もあった。それ以外にも、
  モロコシ類のソルゴ、毛筆粟、フォニオ、アフリカ棉の木があり、これら
  はいずれも、現在の栽培種に結びつけられている。つまり、遺伝的なつな
  がりがたしかめられている。アフリカ起源がたしかめられた栽培植物は相
  当にふえている。
  
   しかし、日本人のわたしが、いちばんおどろいたのは、アフリカ稲の存
  在である。この野生種はサハラだけでなく、西アフリカ一帯にもある。そ
  して、これまた大変早くから栽培されていたし、品種改良もされていた。
  
   結論の一部を先にいっておくと、このアフリカ稲は、最近になって、ア
  ジア稲とは別種のものであり、疑いもなくアフリカに栽培の起源をもつこ
  とが判明した。
  
   実は、西アフリ一帯に、イネの水田がひろがっていることは、早くから
  知られていた。アラブ人もヨーロッパ人も知っていた。ところが、例によ
  って、アフリカにあるものは、まことに無造作に、何の罪悪悪もなく、す
  べて外来起源で説明する「学会の慣習」がはびこっていたものだから、だ
  れもまともな研究をしようとはしなかった。この点は、イネの研究に関し
  て、世界一の権威であるはずの、日本の農学者も同罪である。
  
   そんな事情だから、たとえば、アフリカの植民地問題の専門家、西野照
  太郎も、1954年に、こう書いてしまった。
  
   「西部アフリカにもアジアと同じ水田地帯が拡っている。アフリカ大陸
  の海岸地帯は西南の一部を除いて、アジア的な景観で取り囲まれている。
  ……
  
   「アフリカの周囲にアジア的な風物があることは、アフリカがアジアに
  侵略された歴史の記念碑なのである」(『鎖を断つアフリカ』、1、p.14)
  
   わざわざ古い文章を引き合いに出して恐縮であるが、植民地支配に抗議
  をする良心的な識者でさえ、こう思いこんでいた。
  
   ともかく、このアフリカ稲の東南アジア(インドも含む)起源説は、つ
  いこの前まで、農学者の間でも通用していた。ドイツ人の農業研究家、ヴ
  ェルトは、1954年に、アフリカで栽培されているイネは、「前方インド(
  南アジア)を原産」(『農業文化の起源』、p.105)の地とするものであ
  ると断言していた。
  
   ところが、遺伝学的な研究によって、アフリカ稲とアジア稲とは、まっ
  たく別種であることが明らかになり、従来の東南アジア起源説は、完全に
  うちくだかれた。遺伝学的などというと、大変ややこしくきこえるが、と
  ても簡単なことなのである。
  
   まず、アフリカ稲とアジア稲とを、花粉をつかって、かけ合せてみると、
  1代雑種は50%の成功率となる。ところが、この1代雑種を育ててみると、
  正常な花粉をつけて実を結ぶものが1%以下になってしまう。つまり繁殖
  能力がない。動物に例をとると、ウマとロバの1代雑種のラバがそうであ
  るし、最近よく紹介されるものには、ライガーとか、タイゴンとかいう、
  ライオンとトラの1代雑種がある。これらの不幸な1代雑種の親同志の関
  係は、一番近い種ではあるが、別種のはじまりでもある。
  
   いつごろから別種にわかれたか、という研究になると、とてもややこし
  いらしい。しかし、アフリカ稲とアジア稲については、専門の学者が、野
  生状態のころにわかれたのだと太鼓判を押している。
  
   以上のことから、専門の学者は、アフリカ稲はアフリカで栽培されはじ
  めた、そして、アジア稲は東南アジアで栽培されはじめた、つまり、全く
  別々に栽培されはじめたのだと説明している。また、アメリカ人の民族学
  者、マードックは、アフリカ稲の栽培のはじまりを、紀元前8000年から
  9000年と主張している。
  
   ところが、もうひとつ不思議なことがある。西アフリカで栽培されてい
  たのは、アフリカ稲だけではなく、アジア稲も、早くから栽培されていた。
  これに対して、アジアでは、アジア稲だけしか栽培されていなかった。こ
  れはどういうわけだろうか。どういう説明がなされているのだろうか。
  
   学者の説明によると、やはり、後代になって、アジア稲がアラブ人によ
  ってもたらされた、つまり、追加されたのだということになっている。し
  かし、その証拠として提出されているのは、英語のライス(アラブ語に由
  来という)の系統に属するイネのよび名のよせ集めにすぎない。西アフリ
  カでも、同じ系統のよび名をつかっている地方があるのだが、それは、ア
  ジア稲と一緒につたわったアラブ語に由来するものだというのである。
  
   だが、こんな説明ですまされてよいものだろうか。もしかすると、アジ
  ア稲といわれている種類も、西アフリカの原産であり、よび名のつたわり
  方も反対方向だったのではないだろうか。西アフリカのある地方でのイネ
  のよび名が、アラブ人の方につたわったのではないだろうか。最初にアフ
  リカ稲の起源で間違った説明をされただけに、まだまだ疑惑が晴れない。
  
   しかも、中尾佐助によれば、アジア稲の真の野生種はまだ発見されてい
  ない。つまり、結論はでていない。わたしには、もちろん、くわしいこと
  はよく分らない。しかし、アフリカ大陸のどこかから新しい野生のイネが
  発見され、それがアジア稲の祖型だったということになるかもしれない。
  というのは、アジアには、野生と思われるイネは2種類(両方ともアジア
  稲と交雑可能)しかないのに、西アフリカだけで、現在も採集利用されて
  いる野生のイネが「数種」あると報告されている。この「数種」と言う表
  現が曲者で、要するに、調査不足の告白にちがいない。だが、これではっ
  きりすることは、アフリカ大陸に野生のイネが大変に沢山ありそうだとい
  うことである。わたしはむしろ、アフリカ原産の仮説を立てて研究してみ
  るべきだと思う。
  
   しかも、西アフリカの河川流域やサバンナ(草原)で開発された農作物
  は、まだまだ沢山ある。この事実は、どういう意味をもつのであろうか。
  
  
      次回配信は、第2章−5「サバンナ」です。

         (;_;) 冷夏で米が不作じゃった・・・

  ■□■□■ ワールドフォーラム 12月例会のご案内 ■□■□■

            http://www.worldforum.jp/

 「イラク「戦争」とは何だったのか?−次はシリア・イランか北朝鮮か?
          自衛隊のイラク派兵のもつ歴史的意味と日本の運命−」
  ジャーナリスト・国際情報総合分析研究所代表 木村 愛二 氏

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■このメールマガジンは、『まぐまぐ!』発行システムを利用しています。
 http://www.mag2.com/
 配信中止 http://www.mag2.com/m/0000117236.htm
―――――――――――――――――――――――――――――――――――
■制作・発行■ 木村書店・木村愛二 mailto:altmedka@jca.apc.org
(ご案内)   http://www.jca.apc.org/‾altmedka/shoten-afmag.html
(木村書店)  http://www.jca.apc.org/‾altmedka/hanbai.html
(憎まれ愚痴) http://www.jca.apc.org/‾altmedka/index.html
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

Vol.15へ


メルマガ案内   2008.1.16