雑誌『憎まれ愚痴』1寸の虫の5分の毒針

盗聴法案の影に何があるのか?

罪のない『善良な市民』と『健全な宗教』というものを図式的に描いてみせ『皆さんを組織的犯罪から守ってあげますよ』

(1999.8.20)

[転載:神坂直樹さんに聞く]

神坂直樹さん:1963年生まれ。箕面市在住。司法試験合格後、2年間の司法修習を終了し、裁判官の願書を提出したが、最高裁によって任官を拒否される。現在、大阪地裁で国家賠償請求を起こして係争中。9月3日(金)には、いよいよ本人尋問が終わり、教官や人事課長らに対する証人尋問の採否が決定される。予備校講師として小論文の指導にあたる。それでも、まだ日本政府を信じられるのか?

 新ガイドライン法、通信傍受法案(盗聴法)、住民基本台帳法改正案(国民総背番号制)…。この所の一連の動きについて「もう我慢できない」という声はよく聞く。そこには、戦争国家づくりへの純粋な危惧がある。その一方で「私は何もしていないし、戦争なんて起こらないから大丈夫」という声もある。

 ジョージ・オーウェルのSF小説「1984年」では、みんなが心の底から市民を監視する「ビッグ・ブラザー」に心服していた。そして現実の日本では警察や公安が合法的に監視する時代が始まった。

 誰もそのことを不快に思わない。日本ではプライバシーは安全に席を譲っている。多くの日本人が日本の政府は国民を守る存在だと信じている。スモン、カネミ油症、薬害エイズなど日本の政府が国民の方を向いていたのか、一部の企業の方を向いていたのかということを理解させてくれる過去の事実は、一般的な知識にまでにならなかった。数多くの冤罪事件が警告する「警察権力の横暴」というキーワードも特殊な例としか受け止められていない。

 おとなしくて勤勉な性格の人々は、文句を言わないことを美徳とし、与えられた現状を必死で肯定し、隠された真実に立ち向かうことを「偏っている」と怖がる。そして、革新的な政党も保守的な政党も、そういう『大衆の性』に照準をあて、『受け入れられること』のみを目標にしてきたため、いつまでたっても本当の議論ができないままに、この戦後を過ごしてしまった。

 今、続々と憲法を骨抜きにするような重要法案が、翼賛的な国会状況のなかで成立しつつあるなかで、これまでになく大きな歴史の転換期がやってきているように見える。私たちはこの状況をどうとられるべきなのか?

 裁判官任官拒否に合い、現在裁判中の神坂直樹氏に通信傍受法案の問題点を中心に、お話をお伺いした。

オウムなら暴力団なら盗聴されてもいいのか?
そもそもその議論が忘れられています。

★まず、任官拒否を受けた理由ですが、箕面の忠魂碑裁判(※)の原告補助参加人をしていることで裁判官には向かないと司法研修所の教官にも言われたそうですね。そういうことは正直、予想していたのでは?

※注)神坂さんのご両親が中心となって起こした1976年に箕面市の公費で戦死者をまつる忠魂碑を再建し、慰霊祭に教育長などが参列したのは、憲法の平和主義や政教分離原則に反するとして起こした裁判。大阪地方裁判所の一敗訴審判決では勝訴。その後、最高裁で逆転敗が確定するが、全国的にも注目を集め、各地の政教分離訴訟の先駆けとなった。

 神坂「忠魂碑裁判があったから、私は裁判というものに興味を持ち、事件をめぐって、それぞれに考え方に隔たりのある人を歩み寄らせることの重要性に目覚めました。最初は弁護士志望でしたが、司法修習をしていくうちに、裁判官になりたいという思いが強くなりました。それを言ったとたんに、教官に難色を示され、ひよっとしたら忠魂碑裁判が…と思いながらも、そんな明らさまな思想、信条を理由にして拒否されるようなことがあってはならないという気持ちもありました。でも、最後の最後に教官は忠魂碑裁判のことを持ち出して、裁判官の願書を出さないように強く迫ってきたのです」

★素朴な疑問ですが、そんな教官の言動や最高裁による任官拒否の不当性を、裁判ではどのようにして訴えるのですか?

 神坂「今のところ、ひたすら私が喋るだけですよ。教官や人事局長らに対する証人尋問を申請しているのですが、裁判所は未だに採用してくれませんから。居酒屋の2Fの座敷で教官は鮨詰め状態の人をかき分けて来て、私にこう言ったとか…。詳細に肩たたき(任官志望の撤回を迫ること)を受けた模様やそれについてどう思ったなどの証言をしていくのです。」

★それがもう今年で丸4年です。裁判とは、つくづく体力がいりますね。

 神坂「こういう問題は、あまり荒っぽく裁判されて、性急に答えを出されても困ります。教官らの証人尋問がなかなか認められなくても、それを粘り強く追求するしかない。いよいよ次回の9月3日(大阪地裁)に、教官らの証人採否が決定される最大のヤマ場を迎えます」

★一般的に裁判官は思想に左右されてはいけないから、あまり市民運動とかしていない人の方がいいという見方はあると思うのです。すごく意地悪な質問ですけど。

 神坂「最高裁が恐れたのは、私が裁判官になったら、判例に背いた判決を出すことも考えられる。それこそ本来の裁判官の独立で、当然のことなのですが…。私が一市民として社会的に発言し、市民運動などに取り組んできたことが、従来の日本の裁判官像に収まらないと見られたと思う。しかし、裁判官も市民としての思想の自由や表現の自由という基本的人権は保障されている。それに、裁判官はむき出しの自由な思想や信条で裁くのではなく、法に基づいて裁判を行うのが仕事。裁判官の法解釈の当否が法廷で議論されることはあっても、その裁判官の思想、信条自体が問題にされるいわれはない。そもそも政治的に中立という立場は存在しない。寺西和史判事補(※)のことだって、最高裁で負けたのですが、[少数意見の]5人の裁判官は、寺西さんの行動に問題はないと判断したのです。そういう意味では一石を投じた。寺西さんは『盗聴法案について一市民として発言する責任があると考えた』と言っています」

※注)寺西和史裁判官(現仙台地裁)は、朝日新聞に「裁判官の令状は検察官や警察官の言いなりに発行されているから、盗聴捜査の歯止めにはならない」と投稿をして裁判所から注意処分を受け、さらに盗聴法の危険性を訴える市民集会において「講演予定だったが所長の警告により辞退する」と発言したことが、「積極的に政治運動」にあたるとして、裁判所から戒告処分を受けた。寺西氏は最高裁に抗告。1998・1最高裁大法廷は寺西判事補の抗告を棄却。裁判官5人が処分は違法と反対意見を示した。

★それにしても、マスコミが騒ぎ出したのは法案が決まってしまってからで、もう騒いでもしかたがないという雰囲気です。

 神坂「衆議院では通過しましたが、参議院の法務委員会でどのような慎重な審査をしてくれるのかを注目したい。廃案に追い込むこともあきらめてはいけません。ただ、廃案に追い込むためには、反対する側に、大きな課題があると思います」

★と、いいますと…。

 神坂「盗聴法の目的は暴力団やオウム真理教などによる組織的殺人(殺人、銃器、薬物犯罪、集団密航の4類型)を捜査することであって、令状や立会人などの歯止めもあるというのが、制定論者の主張です。それに対して、決して令状や立会人は歯止めにはならず一般市民のプライバシーが侵害されると反対している。しかし、当局の一番の狙いは、あくまでオウム、統一教会など宗教や、暴力団や過激派と呼ばれる組織であることは間違いない。それをすぐに一般市民の問題に広げようとするから反対論に説得力がない。一番議論しないといけないことは、そもそも暴力団やオム真理教なら盗聴捜査をされてもいいのかということです」

★うーん。たしかにね。一連の動き(※)を見ていると、私も民主主義国家の中でファシズムが育っていく雛型ができてきているなと思うのですが、近所にオウムが来たら怖いという感情もすごくわかりますよ…。

※注)例えば茨城県三和町や栃木県大田原市が信徒の住民票の不受理を追放の手段として行い、信徒に対して商店で不売運動がおこなわれるなど、オウムバッシングは各地でかなりの規模で行われている。

 神坂「そこが一番議論されなければいけないと思います。テレビでも人権派の弁護士ですら、居住権と公共の福祉を秤にかけたら公共の福祉が優先されるとか平気で言っていますから。公共の福祉なんて何だかあらがい難い言葉のような気がしますが、ある人の人権を制限していいのは、他の人の人権が現実に侵害される危険性が高い場合に限られます。オウムの信者が居住したからといって地元住民の人権が実際に侵害されたわけではない。松本サリン事件で犯人扱いされた河野義行さんは、被害者であるのに『オウムが怖い』などとは決して口にしない。なぜならオウム真理教の幹部の犯罪容疑については、いまだ裁判中で無罪推定の原則が働いているのです。それに、当時の幹部以外の信者は法にふれているわけではない。それなのに犯人扱いをされ、信教の自由や居住の権利を侵され、社会から疎外されている。そのことは、ちょうど河野さんが経験した冤罪の境遇と重なると指摘しています」

★麻原なんて、何でこの人が最終解脱者なのだろうと思うのですが…確かにオウム事件の真相はまだわからない。信徒にしても行き場がない人とかもいますし、オウムは怖いから目の前からいなくなってくれればそれでいいといった報道は疑問に思う。この頃の報道は勧善懲悪の物語みたいで冷静さがない。和歌山のカレー事件や神戸の少年Aは冤罪だという件も応援してくれる弁護士の先生が少ないそうで、和歌山のカレーの弁護団なんてものすごい嫌がらせに合っている。基本的人権を守るという意味で、どちらも重要な事件で、この基本的人権の難しさと素晴らしさを語る人がいない。大衆に迎合できる部分でしか報道しないというマスコミの姿勢が問題だと思うのですが。

 神坂「オウムの信仰に身をおいていない外部の人には麻原被告 は、そう見えるかもしれません。だからといって、その信仰自体を否定する資格は外部の人にはありません。それを乗り越えて基本的人権を守っていくのが弁護士の役割です。私はマスコミのせいだけではないと思う。いわゆる『人権派』の弁護士が大きな問題を抱えています。一応、オウムに対する破防法の適応には反対を唱えていても、他方でマンションにビラをまいただけで微罪逮捕されたり、資金源解明などという目的でオウム関連のパソコンショップに家宅捜査が入ったりすることは目をつむる。『オウムは反省も謝罪もしていないから仕方ない』などとテレビで堂々と言う。哀しいかなそれが日本の人権派弁護士のレベルです。河野さんの経験から何も学ぼうとしていない」

★現在のオウム真理教の財産を被害者の賠償にあてるように特別立法を作れというオウム被害者対策弁護団の要求についてはどうですか?

 神坂「幹部たちの犯罪の責任を組織全体の責任におっかぶせて信者を連座させてしまうこと自体にもっと議論があってもよかったと思いますが、それはさておき、いったん破産宣告をしたオウム真理教に対して免責を認めず、破産後に取得した財産を被害者の賠償にあてろというのは暴論です。個人にしろ団体にしろ破産免責の後は、もう一度フレッシュスタートを切れるというのが機会の平等を重んじる自由主義社会の原理原則です。その点についても河野さんは、本来、被害者の救済には政府補償こそ整備すべきであると訴えています。それも総額は決して高くはありません。」

★盗聴法の話にもどりますが、政府は、盗聴法は国際的な要請だと言っているのですが…。

 神坂「そこに問題の本質があります。盗聴捜査を導入し、組織的犯罪の取り締まりを強化することが先進国の政府間のコンセンサスになっている。それが何のためなのかを考えることが大切です」

★私もイギリスでは、街頭に監視カメラがあるとか、日本にも国道にはNシステムという車のナンバープレートを記録していく装置があるとか、まるでSF小説のような監視社会が国際的動向なんて納得できないのですが、この背景には何があるのでしょう?

 神坂「今、アメリカ主導の資本主義の世界戦略が、各地で経済的矛盾を引き起こし、人々の不満が噴出してきている。その不満がテロや内紛という形で爆発することを、先進国政府は恐れて、情報管理網をはって様々な組織の動きをつかみ、それを力で押さえ込もうとしているのです。その意味では、日米ガイドライン関連法も同様の位置づけでしょうね。つまり政府は、戦争協力への総動員体制を作る一方で、最後までしつこく反対しそうな団体を監視できる権利をもちたいのです」

★ああ。それはいえますね。私も公明党がことごとく賛成にまわったのは納得できません。

 神坂「その背景にある問題として自民党の中に創価学会に対する反発も強いことはご承知のとおりです。自民党としては、この際、公明党をうまく抱き込みながら、創価学会に揺さぶりをかけ、政府に対する批判力・抵抗力を持たない翼賛政党、翼賛宗教に変質させようというのが戦略でしょう。創価学会は宗教法人法改正に反対したために、池田名誉会長が国会喚問に呼び出されるという見せしめを受けました。自民党に歯向かえば、いつまた同じような見せしめを受けるかもしれないという脅迫に屈している。今回も創価学会に対する踏み絵のようなものなのでは」

★創価学会の人にはどのように思っているのでしょうか?。

 神坂「地域の学会の人と話す機会が多いのですが、さすがにとまどいを隠せないようです。『聖教新聞』では今でも危険性を問題にしているのですが、『公明党が示した修正案で危険がなくなったというのだからそうなのだろう』としか答えようがない感じです。ただ、創価学会のための政党だった公明党が、今は学会の人たちが政党の言いなりにさせられているような雰囲気です。本当にそれでいいのかと、学会の人たちにも、できるだけ働きかけるようにしています」

★創価学会はオウムのように標的にされたくないというのもあるのでは?。

 神坂「学会幹部の頭にはそれはあるでしょうね。創価学会は過去何度も宗教バッシングの標的にされてきました。現在、統一教会、エホバの証人、ヤマギシ会など次々と槍玉にあげられていく中で自分の所は避けたいというのはある。今、オウム真理教などが『カルト』として迫害されている中で、いっきに様々な宗教弾圧が進行しつつあります。」

★日本人の宗教に対する理解が浅いこともあると思うのですが。

 神坂「一般の意識もあると思いますが、繰り返しますが日本の人権派の弁護士、とりわけ『オウム被害対策弁護団』の中心メンバーなどに最も問題を感じます。最近、エホバの証人の信者が、自分の夫からの相談を受けたプロテスタント系の牧師によって約2週間にわたって建物に監禁され棄教を強制されたとして、慰謝料を求めて訴えたのです。そういう牧師の代理人を引き受けるのはオウム被害対策弁護団の弁護士たちです。エホバの証人側は『棄教の強制は信教の自由の侵害だ』と訴えるのに、エホバをカルトとしか見ていない牧師側の弁護士は『カルトからの救出活動であって家族と子供の幸福のためだ』と牧師を正当化する。そういったカルトの攻撃というものが、まさに戦前の大本教(次項に年表あり)やひとのみち教団などに対する宗教弾圧の本質であったという理解がない。宗教弾圧のお先棒を積極的に担いで正義ヅラしているなんて恐ろしいことです」

★信教の自由というのも基本的人権として保障されているのですからね。同様に盗聴法案を論ずるにも、基本的人権が忘れられていると…。

 神坂「そうです。『暴力団』や『カルト宗教』などの犯罪集団 と、罪のない『善良な市民』と『健全な宗教』というものを図式的に描いてみせ『皆さんを組織的犯罪から守ってあげますよ』というのが国家権力の理屈です。そして、そういう理屈に見事にはまってしまい結局は国家権力に依存しているというのが、野党や多くの弁護士たちの実情。今こそそういう人たちが、暴力団やオウムには人権はないのかというムードを追認し助長しているという状況を批判しなければ、盗聴法は絶対に阻止できないと思います」

★その作られたムードの中で、結局、市民は権力に操られ、宗教弾圧や異端排撃に加担させられ、ついには自らも自由を奪われてきた歴史の事実を今こそ振り返るべきだと私も思います。

★1999年6月に梅田の喫茶店にてインタビュー。

神坂直樹氏:連絡先・箕面市舩場西2-5-501


 以上。


13号:盗聴法(通信傍受法)こぼれ話5題
34号:盗聴法が象徴する抑圧社会的背景
34号:盗聴法案の影に何があるのか?

『1寸の虫の5分の毒針』
週刊『憎まれ愚痴』34号の目次に戻る