雑誌『憎まれ愚痴』1寸の虫の5分の毒針

日本のマスメディア支配の世界に冠たる構造

げに恐ろしきはマスメディアのマインドコントロール

(1999.3.5)

 このところ、別掲連載、『シオニスト「ガス室」謀略の周辺事態』で取り扱っている問題に関して、インターネット上で、私にしつこくからんでくる若者が増えた。いずれも、自称平和主義者で、腕に少しは覚えのありそうな自信過剰の丸暗記秀才型と思えるタイプである。

 しかし、その内の誰一人として、私の決定的な設問である『ガス室の構造』について答えたものはいない。せいぜい、設計図があると言い張る程度なのだが、その設計図とは、火葬場の構造の概略説明図でしかないのである。しかも、それを「ガス室」の設計図と称してオドロオドロしく掲示しているアウシュヴィッツ博物館は、それがどのような立体構造であり、「ガス室」の機能がどのように働いたのかについては、一切、説明しようとはしないのである。すれば矛盾だらけになるからである。

 構造も知らずに、または構造の説明がまったくない本の記述だけを根拠にして、疑問の声を耳にしながらも自分では検証しようともせずに、殺人の告発の方を信じてしまうというのは、いわゆる「メディアの警察発表冤罪報道」の鵜呑みと同じで、ほとんど病気なのだが、その病気は、マスメディアの情報独占の下で必然的に生まれる情報操作、最近の流行語で言えば、マインドコントロールの結果に他ならない。

 もちろん、マスメディアによるマインドコントロールは、昔から続いていた。その結果、日本の多くの若者が、「東洋平和のためならば、なんで命が惜しかろか」と歌っては、人を殺し、時には自分の命をも縮めたのである。

 私自身も、その頃、敗戦の時にはたったの8歳なのに、日本軍の占領下の北京の「国民小学校」に、毎日、最上級生の指揮に従って、まるで意味の分からない「北支派遣軍の歌」を「丸暗記」でガナリながら、戦闘帽を被り、ゲートルを巻き、ランドセルの他にも、非常食料のカンパンや消毒治療薬の「赤チン」、包帯まで入れた雑曩を肩に掛け、まるでチビっ子兵隊並の格好で、中国人の街の中を「行軍」して通っていたのである。

 げに恐ろしきは、マスメディアによるマインドコントロールである。しかも、オウム真理教の場合にも顕著だったように、いわゆる「秀才」の方が、この病気に掛かった場合の危険度が高いのである。

 そこで、とりあえず、以下の短くまとめた旧稿を、本誌に再録する。

 なお、見出しと私の肩書きは、編集部が付けたものである。私自身は、「ジャーナリスト」というカタカナ語に非常ないかがわしさを覚えており、好きではない。確か、肩書きが必要なら「メディア評論家」にしてほしいと頼んだはずなのだが、多分、世間に通りが良いと考えて、「ジャーナリスト」にしてしまったのであろう。まあ、どうでも良いことだから、特に詮索はしていない。

メディアの戦後と戦争責任

特高の親玉『読売』乗っ取り

初出:『週刊新社会』(1997.8.15)。数字の縦半角化以外は原文のまま。

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 日本のメディアの大手支配は世界でも飛び抜けている。

 ソ連崩壊後、読売・朝日・毎日の発行部数は、日本だけでなく、そのまま世界の1-3位である。資本主義陣営内では一貫して 3紙(以前は朝・毎・読の順)が世界のトップを占めていた。しかも、3紙の独占的地位は、戦前の国家総動員体制時代に確立され、戦後さらに強化されたものである。

ごますり体質

 NHKには国営、つまり国家の宣伝機関の性格がある。他のメディアは広告抜きでは成立せず、広告産業の一翼をなしている。メディアの大手支配と商業的性格は、日本の政治・経済・文化、民主主義の基礎となる情報公開の在り方を考える上で、決定的に重要なのだが、あまり深くは知られていない。

 世間一般の常識以前に、メディア関係者やアカデミズムの研究が実にいい加減である。ケタタマシイまでの情報の世界に関する問題でもあり、膨大な量の本・雑誌記事が溢れている割りには、内容の方は、ほとんどピンボケ。執筆者は圧倒的に活字メディア出身者だから、電波メディアのNHKや民放は格好の鴨にされているが、本質的な批判には至っていない。

 大手紙ともなれば、時折のスキャンダルへのジャブ程度がせいぜいで、真正面からの批判的研究は皆無に等しい。意外なようだが、その理由は簡単至極である。書き手は主にメディアの周辺で飯を食っている商売人なのであって、彼らは、大手紙の情報支配に正面から喧嘩を売る気がないどころか、ほとんど妥協、ごますり、売り込みに終始している。

偽りの友

 私自身は、読売系列の日本テレビに27年半在籍し、その間、一貫して闘う労働組合の最前線にいたから、この実情に歯がみせざるを得ず、仕方なしに自ら書き始めた。

 今年の 5月 1日には、『読売新聞・歴史検証』(汐文社、96年刊)の縁で、新宿のトークショー・パブ、ロフトプラスワンに招かれた。演題は「『読売新聞って何様?』~ナベツネ読売を批判できない腰抜け新聞人に正義を語る資格があるのか?~」。企画者が私のファックスメモから最も過激な部分を選んだのである。

 「新聞人」の先輩諸氏は苦虫を噛み潰すだろうが、読売社内からもファックス意見が届き、読売若手記者の匿名参加もあった。私は遠慮なく論評したが、批判の対象は読売だけではない。各紙の評価では、「読売ヨタモン、毎日マヤカシ、朝日エセ紳士」という起源不明の古いダジャレと一緒に、つぎの裏表二通りのイギリスの格言を紹介した。

日本支配の構造

 最近では「リベラル」と称する怪しげな上っ面の「偽りの友」メディアは、歴史検証すれば明々白々、常に時流に合わせてカメレオンのように色を変え、戦争に荷担してきた。いや、戦争を煽っては部数を伸ばしてきた。この本質を見抜き、対抗できる力量を養うことなしには、真の社会改革は不可能である。

 メディアの歴史は、明治維新以後の日本の支配体制の構造を象徴している。体制と反体制のせめぎ合いはドラマチックである。

 読売の場合には、中興の祖とされる 6代目社長、正力松太郎の前歴が、警視庁の官房主事兼特高課長、警務部長だった。共産党第一次検挙の指揮を取った「特高の親玉」が、首都の名門紙に乗り込むという事態は、世界のメディアにも例を見ない。

 つい最近、当時の読売の「鉛板削除記事」の切抜きが発見されたのだが、正力の読売乗り込みの背景には関東大震災下の中国人労働者とその指導者、王希天の陸軍による虐殺という衝撃的事実が潜んでいた。関東大震災の被害を受けて部数が落ち込んでいた文芸紙、読売は、地震の被害のない関西を本拠とする財界紙、朝日と毎日の連合軍と部数拡大を競い合い、ともに大陸侵略のお先棒を担いだ。

 ドイツでは既存の新聞がすべて廃刊となったが、日本の新聞は 3大紙を筆頭にして生き残り、巨大化し、電波メディアをも配下に組み敷いたのである。

 以上。


マスコミ業界メディア批判

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