続く陳ヤンさんも、やはり自分が強制的に性奴隷にされたことを強調しました。
彼女は「カフェでコーヒーをたてる仕事」と騙されて、誘いだされたのだそうですが、契約書をきちんとかわし、そこに店員以外の仕事を明記した上での渡航だったのでした。しかし、一週間後に「慰安所」に連れて行かれてしまいます。
陳さんはこう語りました。

「私は抵抗しました。契約書に店員と書いてあるのに、なぜ私は慰安婦をさせられるのかと言ったら、向こうに、もうここは台湾ではないと言われました。

海外に行く前に、前金で30円、先にもらっていました。それで相手が、もう30円を渡したので、おまえには慰安婦をしてもらうと言い張りました。

でも私は、契約上は一年間、店員の仕事となっているのだから、慰安婦はいやだとずっと抵抗しました。すると耳のところを激しくたたかれて、耳が聞こえなくなってしまいました。」

「逃げたいけれど、逃げる場所はありませんでした。仕方がなくて慰安婦の仕事をするようになりました。食事もたいへんまずくて、栄養がありませんでした。」

「自分の意志で行ったのではないかと言われた事は、すごく辛いです。誰が慰安婦の仕事をやりたいでしょうか。本当に政府から、心からの謝罪をしてもらいたいです。」

そして最後に発言した陳桃さんは、涙を流しながら日本語でダイレクトに次のように語ってくれました。インド洋のアンダマンに送られたことを話した後のくだりです。

「行ったときはね、私は何にも分からないの。そして兵隊にとってもいじめられたんだ。それにね、日本政府はね。私たちは自分たちで行きたくて行ったといっている。どうして自分で行きたいの。あんな遠い所、戦地に女の子が行けるの。
そんな馬鹿なことを言っても誰も信じないよ。」

「日本政府はね、本当に私たちを馬鹿にしている。63年前から今まで、お詫びもしないし、また私たちがね、自分で行きたいと言ったとそんな馬鹿なことを言うんだ。」

被害にあった台湾の女性たちのうち、漢民族の方は、騙されて海外の戦場に狩り出され、有無をいわさずに性奴隷にされました。
一方、原住民の被害女性たちは、やはり仕事があるからと騙されて日本軍の駐屯地に連れて行かれ、そこで性奴隷にされました。
その本当にむごい強制性を日本政府が否定している。
それが阿媽たちをどれほど再び傷つけているか、安倍首相は考えたこともないのでしょう。

これらの阿媽たちの発言のところどころで、Sさんが説明を加えて下さいました。
長い間、阿媽たちに寄り添ってきたSさんの言葉は、阿媽たちの心の奥底に流れるものにまで心が寄せられていることが感じられて、それ自身が感動的でした。

集会は次に婦援会からの説明に移りました。頼さんが、阿媽たちと行なってきたグループセラピーの様子をスライドを使いながら、話してくれました。
(パワーポイントは何事もなく、順調に動いてくれました・・・)

たくさんの説明がなされましたが、全体を通して印象的だったのは、彼女たちが、阿媽の心の傷を癒すためのプログラムを、本当に綿密に考えて実行してきたことです。
例えば、阿媽たちが自分と等身大の姿を紙に書いて、自分の体の好きなところに、色をつけたり、飾りをつけたりしてくプログラムがあります。
これは性暴力によって、植えつけられてしまった、自分の体に対するマイナス・イメージを取っていくためのプログラムだそうです。

実は僕は、写真展の会場でも、ホエリンから直接にその話を聞いたのですが、「まずどこでもいいから自分の体を好きになることが大切なの。そこから、自分の体への愛おしさを取り戻していくの。」と彼女は説明してくれました。

こうしたプログラムの中でも、特に素敵なのは、阿媽たちがウエディング・ドレスを着て写真を撮ったときのこと。このスライドが映されると、会場からどよめきがおこりました。そのとき阿媽たちの方をみると、みんな本当に嬉しそうにスライドに見入っている。会場のどよめきにも、とても嬉しそうにしていました。
横に座っていたホエリンに「君らのプログラムは本当にすごいね。感動するよ」と小声で話しかけると、彼女、にんまり笑って"Thank you!"と語りました。

頼さんはさらにこんな説明をしてくれました。

最近行なった阿媽たちへのカウンセリングの結果では、このプログラムを通じて、阿媽たちの心の痛み、自分への否定感は、随分、癒すことができたのだそうです。
その意味で、このプログラムは、阿媽たちの心に侵入した性暴力とたたかうものであり、心の傷を深いところから癒してくものとしてあります。
僕は発言の後で、頼さんに「素晴らしいプログラムに感謝します」と伝えました・・・。

後日のことですが、Sさんはこれらに関して、メールで、次のような意見を送ってきて下さいました。このプログラムにあるような、婦援会の素晴しい努力で、阿媽たちの心の傷が、少しずつ癒えてきたところに、あの安倍の発言があったというのです。
彼女はこう語りました。「それは再び、かさぶたになりかけた傷口からかさぶたを剥ぎ取ったようなものではないでしょうか。」

(4)へ続く



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