●To  (1)  (2)  (3)  (4)

●To TOP


守田敏也の取材日記

人形と同じポーズで

自分のパネルの前で説明する盧満妹さん

自分の写真を指差す秀妹さん

ショップに興味しんしん

チヨコさんもお母さんの写真と対面


阿媽とともに・台湾の元「慰安婦」裁判を支援する会

wamの入り口で記念撮影

阿媽が6人で東京へ(5)

江戸東京博物館の日本橋を渡る

さてここからは翌日29日のお話です。この日は阿媽たちの東京見物と山形への移動の日。

まず朝10時に西早稲田のWAM(women's active museum on war and peace)を訪問。

ここは戦時性暴力に関する加害と被害の資料を集めた日本初の資料館です。僕もそこで合流しました。

ここのドアの前のフロアには、被害女性たちの写真がずらりと貼ってあります。

やがてそこに阿媽一行ががやがやと入ってきました。
まず先頭に歩いていたちよこさんが、並んだ写真の中から、お母さんの写真を見つけて、僕にシリアスな顔をしながら指差してくれました。感慨深い一瞬でした。
しかしそのとき誰かが写真機を取り出して、「写真、写真」という。お母さんの写真を指差したまま、ちよこさんの顔が微妙にカメラ目線に変わりました。

すると後ろに続いていた呉秀妹阿媽が、今度はニコニコしながら自分の写真のそばまで寄ってきて指差し、初めからニッコリ笑ってハイ、ポーズ!とたんにホエリンが、阿媽!阿媽!と他のおばあさんたちの手招きを始めます。
次々と入ってくる彼女達が、続いて自分の写真の前に立ってはハイ、ポーズ。
もうこの勢いはとまらない。ちよこさんに押し出されたイアン・アパイ阿媽は、ちょっと腰を傾けてかわいらいしポーズで写真におさまりました。準備して待っていたWAMの方が、「中の方が涼しいですよ」と言っても誰にも聞こえない・・・。

ひとしきり、各国の被害女性たちの写真をみんなで眺め、おしゃべりしながら写真を撮り続けてから、阿媽たちが館内に入ってきました。この資料館の主人公たちの登場で、圧巻です。

館内にはいろいろな展示物がありますが、特別展の中に、盧満妹阿媽を紹介する大きなパネルがありました。彼女はその前に呉秀妹阿媽と立って、何やら熱心に話しています。実はこの写真はSさんが撮ったもの。Sさんが「阿媽、写真を気に入った?」と聞くと、「うん、なかなかいいよ」との声。
Sさんの顔が嬉しそうにほころびました。

一方、ここには加害者である日本兵の写真もいろいろと展示してある。

その中の一つに、「慰安所」に群がった兵士たちが、窓にすずなりになって中を覗き込んでいるものがありました。これを見た秀妹阿媽が、「みんな、こうしてたよ」と一言。

胸が痛くなる言葉でした。

それやこれやみんなで展示を見ながら、あっという間に時間が過ぎていきました。
WAMは展示の内容が大変行き届いた素晴しい場ですが、ここを阿媽と訪れるのは、また格別でした。

続いて一行はホエリンが事前にチョイスした、江戸東京博物館に。

両国駅に近接しています。そこまでタクシーで行き、再びガヤガヤと入場。
この博物館には、江戸時代から、昭和、今日にいたる東京の様子がさまざまに展示されていますが、江戸のものでおもしろかったのは、歌舞伎の展示。
助六のポーズの前でちよこさんが、陳樺阿媽が、リーファンが、いよ〜っとポーズを取ります。とにかく何でも写真遊びの素材にしてしまう。
続いて歌舞伎の怪談のカラクリを展示してあるところに集まり、破れ提灯を破って出てくるお岩さん?の姿に、一行はほお〜っと溜め息。

実はSさんの狙いは、その先にある古い時代の東京の展示でした。阿媽たちにとって何か懐かしいものがあるのではとの思いからでした。
ところがその手前にある、博物館のショップを前に、一行は急ブレーキ。Sさんが「こっちよ」と言っても誰も聞かない。わらわらと店に入ってしまいました。

でもそこにも懐かしいものがたくさんありました。お手玉、剣玉、おはじき・・・阿媽たちが「これでこうやって遊んだよ」と話してくれます。
尋常小学校の教科書もおいてある。陳桃阿媽が、「私たちはね、これだったんだよ。あんたたちはもう違ったでしょう?」と語りかけてくる。

さてさて、博物館の見学を終えて、一行は羽田空港を目指しました。
途中の地下鉄の中で、またお遊びが始まる。ホエリンが、「秀妹阿媽は、入れ歯を取ると、顔が細くなって、かわいくなっちゃうんだ」と言い出し、阿媽のメガネをかけて、その顔を真似しだす。とたんに秀妹阿媽を中心に、みんなの笑いが起こります。あまりのはしゃぎぶりに車両のほかの客達が唖然としている・・・。

羽田に着くと、遅れた昼食になりました。
その間に、山形まで同行する方たちがチケットを買いに。
ホエリンと僕で協議しながらあたふたと注文をしていると、店員さんたちも、この一行のテンションに巻き込まれていきます。
ところがチケットを買いにいった人たちが、戻ってきて確認すると、半分ぐらいがない。「あら、落としたらしいわ」ということで騒動の開始。彼女達が慌てて拾いに戻る過程で、さらに追加で2枚を紛失。それがすぐにカウンターに届けられたのですが、館内放送で、大きな声で呼び出され、何だか一層騒動が大きくなっていく。
その間にカウンターでどの券がないのか、アテンダントとの確認に入ったものの、何がなんだかわけが分からなくなってきました。一方で食事を食べ終わった阿媽たちも、わらわらと店を出てきました。

秀妹阿媽が僕をつかまえて、キリコにお弁当を買ってやるという。でも僕は今日は京都に帰らないんだよというと、阿媽はとても残念そう。
ちなみにこの過程で阿媽は、僕と2人になった短い間中、台湾語で話しかけてくれました。内容は分かりませんが、僕は相槌を打ち続けました。何かとても楽しい時間でした。

でもそうもしていられない。
僕は再度、カウンターに走りました。「なんとか再発行できませんか?」そうみんなが交渉している。
「無くされたチケットが分からないと発券できません」・・・ウーン。

ところが何度かパソコンを操作していると、実は無くしたのではなく、まだ発券手続きが未了で、半分を受け取ってなかったことが分かりました。

ほっとしてチケットが出てくるのを待っていると、後ろから走ってきたアテンダントが「急いで下さい。後、5分でバスがでます!」と叫んでいる。
わあ、これは大変だ。そう思ってみんなのところに戻ると、数人がいない。店に違いないと戻ると、ご飯を食べていらっしゃいました。そうです。騒動でこの方たちは、注文を残したままだったのです。でも「もうバスがでます!」と言うしかない。

それで出発ロビーに再度走りよると、急ぎ始めた阿媽たちが、まさにゲートの中に入っていくところでした。僕はそこに駆け寄り、ボディーチェックゲートの横に立ってお見送り。そのとき秀妹阿媽が「キリコ」と言って、包みを渡してくれました。中にはフルーツケーキが入っていました・・・。

そうこうしているうちに、本当にタイムアップ。
とんでもない慌ただしさに、ホエリンとはただもうゲラゲラ笑いながらハグ。阿媽たちもみんな盛んに手を振ってくれます。
でも、もうバスが出る・・・。いやそんなことはないな、空港職員もみな阿媽たち一行のテンションに巻き込まれているから、みんなが乗るまで飛行機は飛ばないだろうと確信。最後の一人が見えなくなるまで、僕もゆっくり手を振り続けました。

やがて飛行機は庄内空港を目指して無事に離陸しました。

阿媽たちの短い東京滞在が、こうして終わったのでした・・・。


終わり