さてさていよいよ証言集会が始まりました。

直前まで僕はパワーポイントを動かすのに大奮闘。自分のパソコンの準備もあり、汗がタラタラ流れますが、何とかかんとか準備完了。
Sさんの挨拶の頃には態勢が整いました。

会場は70人ぐらいの部屋だったでしょうか。そこが溢れてしまいました。
急きょ、イスがいれられます。
参加者の年齢幅も大きく、いろいろな方たちが集まりました。
直前まで「私たち何人かと、アマアたちと、京都からの二人だったらどうしましょう」と案じていたSさんの心配がウソのようです。


証言は、陳樺さん、盧満妹さん、イアンアパイさん、呉秀妹さん、陳ヤンさん、陳桃さんの順で進行。全ての発言が短いながらも印象的でした。
それぞれの発言についてみていきましょう。

はじめに発言に立った陳樺さんは、次のことを強調しました。

「そのときに私は19歳で、本当に何も知らない世間知らずの娘でした。
今、日本政府はあなたたちは自分の意志で行ったのではないかと言い張っていますが、実際にはそうではなくて、騙されて、本当に毎日、涙で過ごしてきたのです。」

「フィリピンにはその当時、アメリカの攻撃があり、艦砲射撃があって、慰安婦たちが軍隊と一緒に逃げ回って、すごく辛くて大変なときでした。もし病気になったらすぐにその場で殺されて、埋められた状況でした。私もとても辛かったのですが、一緒に慰安婦にされて死んだ友だちの爪を台湾まで持って帰りました。」

彼女は昨年、京都で初めての証言をしてくださいました。その前の夜、彼女は夜中の3時には起きてしまって、宿舎の中をウロウロしていた。
初めてのことに興奮して眠れなかったのです。そして翌日、初めての証言を彼女は涙を流しながらしてくれました。

そして二度目の佛教大学での証言のときに、彼女はもっと激しく泣きました。
彼女の送られたのはセブ島。米軍の猛攻の中で、20数人一緒にいた彼女たちは次々と死んでいき、唯一の生き残りが阿媽なのでした。
そのことを話たときに彼女は身をよじって、激しく泣いたのです。
でも今度は阿媽は涙を見せずに、堂々と話をしてくれました。そして日本の私たちに力強く支援を呼びかけた。陳樺さんがパワーアップしたように感じて、胸を打たれました。


続いての発言は、盧満妹さん。彼女も次のように語ります。

「私も17歳のときに騙されて、中国の海南島というところに連れて行かれました。」
「私は抗議のために日本に何回も来ました。今の安倍首相は若くて、過去のことが分からないのだと思います。だから私は本当に頑張って、みなさんのところにきて、みなさんと話すので、その情報を広げて欲しいです。」
「自分の意志でいったと日本政府はすごく言い張っているのですけれど、本当にそうでしょうか。17歳、まだ乙女の心のうちに、本当に自分の意志で行ったのでしょうか。」

騙されて連れ出され、性暴力を受けた彼女が、「強制はなかった」という安倍の言葉に再びどれほど傷ついたのかが伝わってきます。
彼女が一度だけ日本語で、安倍のことを「あの人は本当に、いい人じゃないよ」と強い口調で語ったことが印象的でした。

イアン・アパイさんは次のように語りました。

「1997年からずっと今まで、私は表に立って、日本政府に抗議してきました。
台湾にその当時、駐屯していた日本軍たちに、性的な暴力を受けて、それが原因で私は3回結婚したけれど、3回離婚し、生んだ子どもを女1人で全て育ててきました。」

「今、私は78歳です。本当に身体がぼろぼろで、あちこちに痛みがあります。
私も高齢だし、先に話した何人かのアマアと同じように、本当に日本政府からの謝罪を望んでいます。」
アパイ阿媽は、いつものように、ゆっくりとたんたんと、しかし力を込めて話してくれました。

続いては呉秀妹さんです。

「私は本当に自分の意志で行ったのではなくて、騙されて、最初に台湾の高雄に連れて行かれて、すべて裸にされて、検査されました。
船に乗ったら、大変な日々を過ごして、今一番辛いのは、そのときの後遺症で、便が不自由になってしまったことです。」
「具合が悪い時に、要求されるとあまりに嫌な時もあります。でも拒否したら、日本兵が刀を取り出して、脅迫してきました。そのときのせいで、からだがぼろぼろになってしまいました。そのせいで、私は子どもを産めない身体になってしまったのです。」

阿媽は、最後にもう一度、「私は自分がしたかったのではなく、本当に騙されて連れて行かれたのです」と語り、「本当に今の首相に謝罪をして欲しい」と話を結びました。


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