わたしの雑記帳

2006/7/12 私立作陽高校寮内のいじめPTSD事件、判決


2006年7月10日(月)、神戸地裁姫路支部で、私立作陽高校寮内のいじめPTSD事件の判決が出た。遠いということもあって、私自身は傍聴にはいけなかったが、結果の報告をいただいたので、ここに掲載させていただく。

田中澄夫裁判長は、学校法人作陽学園に対して、約2800万円の支払い命令。
ほぼ、全面的に原告側の言い分を認めた、
画期的な判決だった。

Aさんが、私立作陽高校に在籍したのは、1991年4月1日から1993年9月1日。
原則、在校生は全員、入寮することにきまっていた。そこで、伝統的な上級生から下級生へのいじめにさらされる。心理的、肉体的、そして性的虐待。地獄の日々。
同室上級生の虐待に耐えかねて、学校側に告発。上級生は退学になった。しかし、問題はそこで終わらなかった。退学になったのはお前のせいだとさらにひどいいじめを受けるようになった。
そして、うでのけが。うでのけがを理由に、特例として自宅通学が許される。

Aくんは担任教師にいじめられていることを相談したが、教師はAくんの訴えを全く取り合おうとはしなかった。加えて、「すべてお前が悪い」「お前はこの世にいても何の取り柄もない人間だ。死んでしまえ」などと言われ、Aくんはショックで不登校となり、3年生に進級できずに留年する。
そして、学校を辞めた。

そのAさんが学校を訴えたのは、2002年11月。暴行事件から10年が経過していた。
しかし、その間、体の傷も、心の傷もよくならなかった。うでのけがが悪化して、仕事も辞めざるをえなかった。ひどいPTSDに陥って、何度も自殺未遂を繰り返した。

思い切って、弁護士と一緒に加害生徒たちとも会った。「謝る必要なんかない」という上級生もいたが、心からわびたものもいた。内1人は面会後、「死んでおわびします」という手紙を残して自殺。その上級生も1年生当時、暴行を受けていた。

Aさんは、「リンチは寮の構造的な問題で、加害者にも被害者的な側面がある」として、学校のみを被告とした。寮内の暴力的体質を知りながらずっと放置してきた学校。寮を逃げ出す生徒もいた。退学した生徒もいっぱいいた。それでも、ただ言葉で説得するだけで、体制を根本から変えようとはしなかった。

裁判内での学校側からの反論には、さぞ、心を深く傷つけられたと思う。PTSDをかかえながらの裁判は綱渡りのようなものだったと思う。そして、それを支えてきた多くの人たちがいる。
その成果が、判決に出たのだと思う。

裁判所は判決で、
寮での安全配慮義務について一定の判断能力を持つ高校生であっても、寮は生活の場であって、強制的に入寮させた場合、寮という閉鎖的空間は単なる学校生活(教室)よりも高度な安全配慮義務がある。作陽高校は、いじめの温床となった寮内の暴力体質を放置したとして、学校の安全配慮義務違反を全面的に認めた。

PTSDの認定については、残念ながら、深い認定はなかった。しかし、PTSDは認めないが、極めて大きな精神的苦痛があったとして、後遺症害の慰謝料として含むとした。

被告側の「本人が訴えなかった。本人にも原因があった」という主張に対しては、「意味がない」と退けた。また、「暴行から10年以上経過した」として、被告側は時効を主張していたが、「左ひじの後遺症が固定した2000年10月から起算すべきだ」とした。

この判決の意味は、いくつもあると思える。
まず、
学校の寮内の安全配慮義務をより高度なものと認定したこと。
多くの集団生活の場で同じような暴力が繰り返されている。全寮制の学校。スポーツ選手用の寮。僻地にある学校の寮。不登校や引きこもりの厚生施設といわれる寮。そして、児童養護施設。
どこにも、判で押したように同じ問題があり、解決されないまま、いまだに多くの子どもたちが暴力にされされ、傷ついている。
それが、単なる「伝統」などと言い訳が通用しなくなれば、少しは風通しのよい、安心安全な生活の場になるのではないかと期待する。

そして、
いじめ裁判でもよく言われる「被害者にも落ち度があった」という言い分。本人にもいじめを受けるような原因があった。言わないのがいけない。反撃しないのがいけない。などなどに、裁判所が耳をかさなかったこと。過失相殺はなしとした。
実際に、被害者に何の落ち度がなくとも、どんな言いがかりでもいじめる側はつけてくる。
ましてや被害者はAさんだけではなかった。暴力は常に繰り返されてきた。
スポーツの寮を含むこういう寮などでよく言われることは、3年生は神様。2年生は平民。1年生は奴隷。伝統的に決められている場合、そのサイクルから逃げ出すことはより困難となる。

勝って当然の内容だったとも思う。しかし、その当然が通らない世の中であり、司法の世界でもある。そのなかで、勝訴することができてほっとする。
もし、負けたら、それでなくとも深い心と肉体の傷を負っている彼に対して、「死ね」というようなものだと思っていた。ここまでだって、よくぞ生き抜いてきたと思う。その彼が自らの精神的な立ち直りをかけて、果敢に挑んだ。きちんと主張を受け止めてもらえたことに、少し、司法の世界にも希望が見えた気がした。

もちろん、学校側がまだこれから控訴する可能性はある。予断は許さない。しかし、Aさんのその後も、作陽高校で暴力事件がおき続けているという。一度ついた深い心の傷は5年、10年でいえるものではない。ともすれば一生ひきずる。あるいは、そのひとの人生そのものを奪ってしまうことさえある。
そういう場をつくりあげたのは、子どもたちだけではない。大人たちの不適切な関与が助長させていると思う。学校は今まで何人もの人生を奪ってきたのだ。控訴しているひまがあるのなら、被告の弱みばかりを重箱のすみをつつくように探す時間と余裕があるのなら、今までの自分たちのやり方のどこが間違っていたのかをきちんと検証し、もっと根本的に暴力を生まない体質に学校そのものを改善してほしい。少なくとも、もう二度と彼と同じ目にあう生徒を出さないでほしい。

この勝訴が、今現在も苦しんでいる子どもたちの希望になればと思う。


後記:

岡山県津山市の私立作陽高校寮内集団暴行事件の被告・私立作陽高校側が控訴しました。あわせて、原告側も控訴しました。
これほど多くの生徒たちの心を深く傷つけ、自殺者さえ出しながら、今だ何を争うというのでしょう。学校側がもっと力を注ぐべきところは別にあるのではないでしょうか。
このような頑なな学校の態度だからこそ、原告青年は訴訟をせざるをえなかったのだろうと思い至りました。とても残念です。



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