わたしの雑記帳

2009/3/7 長野県立丸子実業の高山裕太くん(高1・16)自殺事件。教育裁判史上に残る悪判決!

高山裕太くんの母・かおるさんから「裁判酷い結果になりました」と連絡をいただいた。
2005年12月6日に自殺した長野県立丸子実業の高山裕太くん(高1・16)が事件の民事裁判の判決が、2009年3月6日、長野地裁で出された。
私は、たくさんのいじめ事件の事例を集めてきた。そのなかでも、大人たちの対応がもっとも酷かった事例ではないかと思っていた。そして、長野地裁判決。これもまた、教育裁判史上に残る悪判決だと思う。

2009/3/6 長野地裁の近藤ルミ子裁判長は、上級生1人に対してのみ1万円の損害賠償を認めた。
上級生がハンガーで裕太くんの頭をたたいたことを「指導の名目であっても人の身体に直接、力を行使することは許されない」とした。(わざわざ「指導の名目であっても」とつけることで、ハンガーで殴ったのは指導が目的だったと暗に言っているようなもの)一方で、「(高山君が自殺する前の)家出やうつ病発症の原因になったと認める証拠はない」と判断。
上級生の声まねによるからかいは「不法行為に当たらない」とした。
また、うつ病と診断された裕太くんに登校を促した学校側の対応は「必ずしも自殺の危険性を高める行為とは言い難い」とし、「学校や県教委の監督義務違反があったとはいえない」として、原告の訴えを棄却した。
近藤裁判長は、いじめを明確に認定せず、自殺との因果関係も判断しなかった。

バレーボール部の顧問と部員・保護者30名が裕太くんの母親に対して、名誉毀損だと逆提訴したことに対しては、近藤ルミ子裁判長は、高山さんが「平穏な私生活を違法に侵害した」として、遺族である高山さんに対して、顧問ら23人に1人あたり5千円から5万円、計34万円の支払い命令。高山さん側の反訴を棄却した。 

裁判長はいじめのことを何もわかっていない。あるいは、何か政治的な力が働いたのではないかとさえ思えてしまう。
高山裕太くんの場合は、生きているときにすでに本人が家出をきっかけに、バレーボール部内のいじめを訴えていた。
母親はもちろんのこと、顧問も、学校長も、教育委員会も、議員も知っていた。
裕太くんが亡くなる前に書いた学校あてて出した手紙、母親ぬきで議員と一緒に校長に会いにいったこと、携帯に残されていた仲間への未送信メールは、どう判断されたのだろう。

これだけ多くの大人が関わって、見殺しにされるどころか、さらに追いつめられた。本人の訴えにまるで耳を貸さず、死を回避するためのぎりぎりの選択である「家出」も、「不登校」も裕太くんを責める材料にされた。


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いじめは1980年代前半から、国をあげて取り組むべき問題として認識された。
そして、1985年6月には、「児童生徒の問題行動に関する検討会議が、緊急提言「いじめ問題の解決のためのアピール」のなかで、「
最近のいじめには、単なるいたずらやけんかと同一視したり、又は、児童生徒間の問題として等閑視することは許されない状況にある。」「いじめ問題に対する教師の対応のあり方などから児童生徒や保護者の不信感を招来し、問題を深刻にしている面があることにも留意する必要がある」とした。
裕太くんの自殺より20年も前のこの提言が、いまだ学校のなかに全く浸透していないのを実感する。

1994年11月27日の大河内清輝くんのいじめ自殺以降には、1995年3月、「いじめ」の定義から「学校としてその事実を確認しているもの」という一文をとり、「
個々の行為がいじめに当たるか否かの判断は、表面的・形式的に行うことなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行うことを留意する必要がある」「あくまでいじめられている子どもの認識の問題」と明記するようになった。

なぜ、この時、わざわざ定義を変えなければならなかったのか。いじめは隠されるもの、外から見えにくいもの。被害者はさらなる暴力のエスカレートを恐れて、表面上は何でもないかのように装うことがあること、加害者はいじめを正当化したり過小評価するものだという過去の亡くなった子どもたちの犠牲に対する反省のうえにたっての変更ではなかったか。

また、このときに緊急避難としての欠席も認め、1996年1月26日、奥田文相は記者会見で「いじめ問題で最悪の場合は不登校もやむを得ない」という考えを示した。それは、いじめられている子どもが「学校へ行かなければならない」と思うことが死につながる危険性があると認識したからではないか。
近藤裁判長は、うつ病と診断された裕太くんに登校を促した学校側の対応は「必ずしも自殺の危険性を高める行為とは言い難い」としている。しかし、うつ病が自殺への非常に大きなリスクであることはもはや常識であるし、大人に対してでさえ、うつ病である社員に出社を促せばどういうことになるか、日を見るより明らかだ。そんなことをすれば今の世の中ではまずは雇用者側の責任が問われるだろう。

そうでなくとも、子どもは学校には行かなければいけないものと思っている。まして、受験を受かって入った高校。とくに小さい頃からスポーツが好きで、運動神経もよかった裕太くんにとって、バレーボールの強豪である丸子実業のしかもバレーボール部に入れたことは、夢の実現の第一歩であり、本当は学校に、部活動に行きたかったと思う。
行きたいのに行くことができない。それだけでも大きな悩みであるのに、さらに学校から登校を促す手紙や電話がしつこくくる。これは脅迫以外の何ものでもない。死に追いつめられて当然だと思う。

子どもがどういうときに死に追いつめられるか。
いじめももちろんある。しかし、一番大きいのは、勇気を振り絞っていじめを大人に打ちあけたあと、気持ちを理解してもらえず何の対処もしてもらえなかったとき、あるいは、「お前にも原因があるのではないか」などと、助けてくれるはずの大人から責められたときだと思う。

2006年いじめ自殺や自殺予告が多発して、伊吹文部科学大臣はマスメディアを通じて全国の子どもたちに「いじめられて苦しんでいる君は、けっして一人ぼっちじゃないんだよ。 お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、きょうだい、学校の先生、学校や近所の友達、だれにでもいいから、はずかしがらず、一人でくるしまず、いじめられていることを話すゆうきをもとう。話せば楽になるからね。きっとみんなが助けてくれる。」と呼びかけた。
まるで、いじめられている子どもが言わないから、解決できなかったとでも言うように。

でも、現実は、裕太くんは勇気をもっていじめられていることを話したのに、楽にならなかった。助けてもくれなかった。むしろ、助けを求めた大人たちにどんどん追いつめられていった。

いじめのことはまるで認めなかった裁判長は、前代未聞の「いじめた」とされる側の「名誉毀損である」の訴えにはなぜか耳を貸した。なぜ、母親が必死になってバレーボール部員や顧問に連絡をとらざるをえなかったのかをまるで考慮することなく。
これは恐ろしいことだと思う。

いじめは隠される。そして
学校は自分たちの責任が問われることを恐れて、いじめをなかったことにしようとする。利害が一致した学校と加害者が組んだとき、これではやりたい放題できる。遺族やいじめの存在を告発した人間の口を封じることができる。
被害者の権利はないがしろにされ、これでは加害者の権利がとてつもなく強化されてしまう。


裁判官はいじめをわかっていない。いじめの件数そのものは高校は中学よりずっと少ない。
一方で、高校生になってまで続くいじめは生半可なものではない。加害者はいじめることに強い動機をもっている。たいていは、小、中といじめをしてきて、あるいはかつていじめられていたのがいじめる側に回るようになって、いじめのノウハウを身につけている。いじめ・暴力を正当化したり、ばれないようにしたり、周囲や被害者までもうまくコントロールするようになる。中学生以上にしたたかになる。

高校で多いのが、恐喝など金銭がらみの犯罪的なもの。そして部活動内のいじめ。
部活動内のいじめについては、神戸大学大学院人間発達環境学研究科の森岡正芳氏は、「臨床心理学」(2007年7月10日発行の専門誌「臨床心理学 特集 いじめと学校臨床/金剛出版」)のなかで、「とくに部活でのいじめは陰湿になることが多い。なぜならば力関係の不均衡がいとも簡単につくられ、しかも集団の維持や団体の名誉という大義名分が成り立つから、いじめは隠蔽しやすい。外部の目は入りにくい。たった一つの失敗や他の学年との接し方いかんによってもいじめの対象にされやすい。そこに関わる大人たちも、力の強いものにお墨付きを与えがちである。
それといわなくとも、教師や監督の表情や、沈黙だけでも、加害者は支持されたと感じ、被害者は理解されていないと感じやすい」と書いている。

まさしく、丸子実業バレーボール部にも言えるのでないか。顧問をはじめてとし、部員とその保護者が集団で、子どもを自殺で亡くした親に損害賠償を求めて提訴する。このふつうでは考えられもしない集団行動にこそ、そのいじめ発生のメカニズムや隠ぺい可能な構造が明らかに見えているのではないか。

この事件は直後からおかしなことばかりだった。ふつうならもっと大騒ぎするマスコミがほとんど動かなかった。
2006年度にあれだけいじめ自殺が騒がれたなかで、2005年12月のこの事件を追跡取材して大々的に報じるマスメディアがほとんど出なかった。むしろ、学校側の反論のほうにひっぱられて、遺族を非難する声さえ地元では高まっていたと聞いた。
バレーボールの強豪チーム。今後の取材を考えれば、マスコミは学校とけんかしたくない。そう思ったのではないか。

同じ頃に起きた北海道滝川市のいじめ自殺(2005年9月9日に自殺をはかり、2006年1月6日に死亡)は、2006年10月になって全国紙で大きく報じられ、市民の声に押されて隠ぺいが明らかになった。
丸子実業の場合は、滝川市の事件以上に、裕太くんの生前にすでに県教委までがかかわっていた。この事件でいじめが認められると、SOSを無視した県教委の対応までが責任を問われる。
ほかのいじめ事件以上に、県をあげてなかったことにするため、必死だったのではないか。
いじめ自殺あるところに必ずといってよいほどある学校や教委の隠ぺい。地方ということでなおさら、強い権力の圧力が働いたのではないか。そんなふうに思える。

もし、この判決を許してしまったら、学校での人間関係が原因と思われることで子どもが死んだ場合、遺族はそれまでの何があったかを何も教えてもらえないだけでなく、教えてほしいと関係者にすがりつくことさえできなくなる。まして、加害者と思われる人間や学校、教育委員会相手の裁判など、損害賠償が恐ろしくてできなくなる。

計34万円という支払いは一見、そう大きなことには見えないかもしれない。しかし遺族は学校等を訴える裁判でたくさんのお金をすでにつぎ込んでいる。弁護士費用も、裁判所に支払う印紙代も、その他もろもろ裁判にかかる交通費や事務費もばかにならない。子どもを亡くし、ぼろぼろになっている状態で男親でさえ、経済活動をそれまでどおり維持しつづけていくことは極めて困難だ。女性はもっと足もとをみられる。実際に経済的な理由で裁判をあきらめたひとを私は何人も知っている。
そんななかで、屈辱に満ちた34万円を支払えなどと、どうして遺族にいえるのか。この判決への不信は極めて大きい。

かつて、鹿川裕史(ひろふみ)くんいじめ自殺(860201)の東京地裁判決(1991/3/27)が直後から、専門家たちの間で非難された。それを上回るひどい内容だと思う。
鹿川くんの一審判決が高裁で覆されたように、丸子実業の一審判決が高裁で覆ることを願う。



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